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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第229号 2009.06.25

ピーチャリ フーチャリ 史上最多の400人 医療も介護も平和でなくちゃ!

神谷ありこさん(右)の楽しいリードで盛りあがる会場

3回目となる「ピーチャリ」が6月13日(土)14日(日)の2日間行われ、新たに大町協立診療所、老健はびろの里をスタートするコースも加え、長野→飯田間全長217kmを走り抜けました。参加は裏方も含め総勢400人! 今年は「平和でなければ豊かな介護も実現できない」とよりよい介護を訴えながら走る「フーチャリ」も同時開催、見事「ピーチャリ」との融合に成功しました。また、鹿教湯病院(厚生連)で民医連外の団体とふれあったり、共同組織からの参加が増えたりと、うれしい広がりがありました。
昨年の雨天とはうって変わっての暑さとの闘い、県内各連絡会の熱烈な歓迎は今年もさまざまなドラマを生み出しました。(諏訪・古池 智)

振り返ると仲間がいた

特養あずみの里・介護 大久保 史彦

振り返ると仲間がいた

私にとって今年最大のチャレンジは、長野中央病院から松本協立病院まで先頭に立って走ることでした。「コースを間違えていないだろうか?」「後ろはついてきているだろうか?」不安で、何度も何度も後ろを振りむき走りました。
でも、1人で走っていたわけではなかったのです。「後ろはまかせて」「もう少しだから頑張って」と励ましてくれる仲間の姿がありました。
そして、私は走りながら自分の仕事を振り返りました。介護をしていて途方にくれた時どうしていただろう?自分でなんとかしなきゃと抱えこんではいなかっただろうか?
介護ウェーブのフーちゃんは制度の改善を訴えると同時に、「一人で悩まないで一緒に元気をだそうよ!」と笑顔で呼びかけます。「一人だったらあきらめていた。みんながいたから走れた!ありがとう!」217kmを走り抜けた私たちは、喜びを爆発させ、支えてくれた仲間たちに感謝しました。(写真・右端)

医民連の若者達、やるじゃないか

長野医療生協・理事 平出潤一郎

稲里生協クリニックを出発(左端)
稲里生協クリニックを出発(左端)

「おじさんがなにしにきた、と思われるのではないか」。法人機関紙の編集委員会で誘われその気になったものの、違和感はもたれるだろうと覚悟して長野中央病院に到着した。目に飛び込んできたのは、黄色いTシャツのたくさんの若者達。元気だ。うれしくなって自転車を降りて近づくと、「おはようございます。今日はよろしくお願いします」。前からの友達のような笑顔に囲まれた。
走り出してからも若者達は優しかった。隊列が途切れるとリーダーは信号で止まり、仲間たちがまとまるのをさりげなく待った。丹波島で自転車のチェーンがはずれてしまった時、(あとで知ったが)塩尻の中野医師が「どうしました」とスッと近づいてきて直してくれた。

自転車イメージ

昭和12年生まれの私に直接の戦争体験はない。しかし、大人達の会話や食糧疎開など、戦争の一色の緊迫した雰囲気の中で少年期をすごした。戦後の民主主義が怪しくなっていく50年代に高校生、その延長線上に安保闘争、高校の教員になったときは勤評闘争*の真っ只中だった。思いがけず歴史の転換点にたった若い日と、いま似たような時代のなかで、汗をかき、励ましあって進む若者の姿がオーバーラップした。民医連の若者達、やるじゃないか! そんな彼らと一緒に上田まで走れる喜びをかみしめた。
農作業の手をとめて応援してくれた夫婦、自動車の助手席から手を振る女性...ピーチャリが平和行進のように老いも若きも参加して広がってゆく夢を描くのは私だけではないだろう。(談)

※勤評闘争=教員に対する勤務評定制度反対闘争。1958年を頂点に国家統制から教員の生活や権利、民主的な教育を守ろうと、労働団体や父母などが広く連帯し全国的なたたかいとなった

「おじゃまして良かった」~鹿教湯病院での感動

中信事務センター・事務 中井 朋聡

上田→松本間で立ち寄った鹿教湯病院まつりで
上田→松本間で立ち寄った鹿教湯病院まつりで

鹿教湯病院の大きくキレイな正面玄関では、"鹿教湯病院まつり"のクライマックスでした。そこになだれ込んだピーチャリは、まさに「VIP待遇」でした。病院労組委員長からの熱い連帯の激励をいただいたときに、平和の大切さや豊かな医療・介護を実現させるアピールというのは、無条件で受け入れてもらえるという「垣根のなさ」をあらためて確信できました。暑かった上り坂のつらさも消え去るすてきなひと時でした。

ピーチャリ・フーチャリ 東南西北

6月13日長野→塩尻

【長野中央病院】

長野中央病院

「スタートを盛り上げよう!」と"おにぎりにぎり隊"が早朝からおにぎりと温かいみそ汁を準備して、飯田までの"通しチャリダー"7人はじめ参加者を激励。出発式には60人が参加、午前7時15分、拍手のなか元気に出発しました。

【稲里生協クリニック】

稲里生協クリニック

初立ち寄りのクリニックでは、デイケア利用者さんから思いを込めた"平和の千人針"が贈られました。(以上・石川 徹)

【上田・元気倶楽部まゆ】

上田・元気倶楽部まゆ

アットホームな雰囲気の中、青年JB特製のインドカレーやボランティアと職員手作りのサイドメニューが大好評。部屋数が多いので食後に足を延ばして休めるお座敷も提供でき、「とても良かった」と喜ばれました。2人の子と参加した職員の、共に走りきった姿がとても微笑ましかったです。(福田 憲嗣)

【網の目新コース】

大町協立診療所 あずみの里

[大町協立診療所]
走者13人と応援20人で、新設の大町―松本コースの出発式が行われました。ピカピカの施設、カンカンの晴天の下、「エッサッサ」で景気づけてくれた小林事務長や笹川師長、診療所職員も子どもづれで応援してくれ、アルプスの麓で牧歌的なスタートとなりました。(日高 大地)

[あずみの里]
100人以上の職員手作りのタペストリーで歓迎

【松本協立病院】

松本協立病院

職員有志のうたごえサークルの合唱で迎えました。鈴木直美医師が病院9条の会を代表して歓迎の挨拶を行い、各職場作成のメッセージタペストリーを託しました。デイケア利用者・入院患者・職員で作成した〝平和の千人針"も渡されました。ピーチャリストの爽やかでまったく疲れを感じさせない様子が印象的でした。(高橋 孝)

【塩尻協立病院】

タペストリー

昼から大鍋にたっぷりカレーを作り、ピーチャリ隊を待ちました。午後7時半、みんな元気に到着!全職員で作成したタペストリーで迎え、カレーを食べて疲れを吹き飛ばしました。 (吉田 佐代)

6月14日塩尻→飯田

【岡谷市・つるみね共立診療所】

岡谷市・つるみね共立診療所

午前9時50分、健康クラブ泉の会による「健康まつり」会場で歓迎セレモニーを行いました。豚汁と飲み物、SOS諏訪ネットワークからブラジル人のみなさん手作りのケーキが振舞われました。たくさんのまつり参加者といっしょに記念撮影をしてお見送りしました。(布施谷愛美)

【老健はびろの里・上伊那生協病院】

平和の千人針 老健はびろの里・上伊那生協病院
上伊那の昼食会場に飾られた「平和の千人針」

はびろの里で職員と利用者さんによる壮行会が行われました。『網の目作戦』として、利用者さんに糸で文字を縫っていただいた「平和の千人針」たすきを胸に、署名を配り平和を訴えながら上伊那生協病院へ。病院では、職員・組合員がたくさんのおにぎりを用意して出迎えてくれました。(小川 翔)

【飯島町・マルダイストア】

飯島町・マルダイストア

休憩所のスーパーには生協診療所いいじま職員により大きな看板が。

【高森町吉田東公園】

高森町吉田東公園

はやしの杜職員がおみこしを繰り出して歓迎、走行に合流しました。

【飯田中央診療所】

飯田中央診療所

もはや恒例となりつつある吉川事務長による「ピーチャリサンバ」で盛り上がりました。ここから健和会病院ランニングクラブもゴールに向けて併走しました。

【健和会病院】

健和会病院

午後6時50分、09年ピーチャリ・フーチャリが無事ゴール!同時に私たちの平和への思いをたくした色とりどりの風船が空に舞いあがりました。(以上・小林 研一)

GOAL!!

平和を願う仲間たち、松本につどう 民医連平和活動交流集会開催

全日本民医連第8回平和活動交流集会

大本営の見学

5月22 ~ 24日、全日本民医連第8回平和活動交流集会が松本市で開催されました。日本全国から約120人が参加し、2010年のNPT再検討会議へ向けた核兵器廃絶の大きなうねりを作る意思統一、平和と憲法を守る取り組みを進める交流と決意を固め合いました。
1日目は、現地歓迎企画で信州ピーチャリストの仲間が全国デビューしました(写真上)。長野県の元気さを全国にアピールでき、ピーチャリプロモーションビデオも好評でした。また、九条の会事務局長の小森陽一さんによる「危機の中でこそ9条の思想を」と題した記念講演と、翌日行われる松代大本営見学の学習講演が行われました。
2日目は、フィールドワークで松代大本営(長野市)と無言館(上田市)を見学しました。大本営の見学では、沖縄戦が大本営完成までの時間稼ぎだったこと、戦後、昭和天皇が長野市を訪れ「無駄な穴」と発言したことを知り、参加者からは驚きと怒りの声が上がりました(写真下)。無言館では、戦没画学生の作品を前にして本当に"無言"になってしまい、ただただ作品に見入りました。夕食交流会では2日間での感想や今後の決意などを各班ごとに発表しました。あいうえお作文や寸劇、合唱など、どの斑も素晴らしかったです。平和を願う仲間は全国にいると実感することができました。
3日目は、全国の特徴的な平和活動の取り組みを11県連が発表しました。毎月6・9・25日にこだわった署名活動や早朝宣伝など、地道な取り組みが大切だと思いました。
(松本協立病院・柴田 尚史)

もっとも困難な人たちの立場にたった医療を! 無料低額診療への挑戦

保険料が払えず、保険証を持っていない人、資格証明書・短期保険証で受診し、窓口負担が10割になる患者さん、我慢して病院にかからない人、安心して病院にかかれないという人が増えています。 本来、健康で文化的な生活は憲法25条で保障された権利です。「無料低額診療」への挑戦は、もっとも困難な人々の目線にたった事業です。制度取得の準備をすすめている南信勤医協森正明専務に聞きました。

どのような制度ですか?

生活困窮者が経済的な理由によって必要な医療を受ける機会を制限されることのないように、無料または低額で診療が受けられるように社会福祉法第2条第3項第9号によって規定された制度です。経済的理由で医療費の支払いができない人、保険証を持っていない人、ホームレスの人が制度を利用できます。外国籍の人も利用できます。
制度を実施しようとする法人は長野県へ届け出ます。事前に医師会や福祉事務所、社会福祉協議会などと相談し、所得基準や提出書類、また減免となる期間など運用について定めます。あくまで一時的な救済制度なので、受給期間内に公的な制度へつなげることが必要です。

どのような準備をしてきましたか?

届け出の必須基準に「生活保護による保護を受けている者および無料または10%以上の減免を受けた者が取り扱い患者の総延べ数の10%以上」という規定があります。該当するかどうかの調査を行いました。
健康クラブ泉の会では本部役員会とブロック役員会で議題にしていただきました。「この間の医療制度改悪で、病院経営を守ることにきゅうきゅうとしていたが、この制度に取り組むことは、民医連本来の姿だ」と歓迎する声が寄せられています。職員は制度の学習会を行いました。予算に事業費を計上しました。近いうちに諏訪郡医師会、下諏訪町社会福祉協議会と懇談する予定です。6月の町議会では「無料低額診療を始めた際には、前向きに支援を考えたい」と答弁をいただいています。

今後の方向は?

下諏訪町の高齢化率は30%なので、外来でも入院でも高齢者の比率が多いです。年金収入は増えないのに、後期高齢者医療保険料の天引きや医療費の窓口負担など支出は増え、お年寄りの生活も大変です。
そもそも民医連は「お金のあるなしで、命の差別をしない」ということを基本に医療活動をしています。この制度を利用し、『病院の敷居を低くしたい』と考えています。生きた制度にするために、広報にも力を入れたいと思います。

アンケート調査で事業の必要性を実感

諏訪共立病院・SW 福田 香奈

上田→松本間で立ち寄った鹿教湯病院まつりで
諏訪共立病院待合室でのアンケート調査

無料低額診療事業実施の準備として、外来の患者さんを対象に620人にアンケートを行いました(4/27 ~ 5/26のうち12日間)。アンケート項目は、性別・年齢・保険証の種類・仕事の有無・住民税、所得税の有無・年金の種類などです。
「すばらしい事だね。調査に協力するわ」「皆のために早くやってほしい」と言う声や「年金だけじゃ医療費を払うのもやっとだ」「病院に通い始めると、毎月一定の額がかかる。途中でやめるわけにはいかない」という切実な話も聞きました。
調査の結果、事業対象となる患者さんは全体の28%という高い割合である事がわかり、事業の必要性を強く感じています。患者さんがいつでも誰でも安心してかかれる病院をめざしたいと思います。


全国でも成果続々

福岡・千鳥橋病院では未収金プロジェクトチームで患者訪問を行い、生活保護や無料低額診療へ結び付けています。北海道勤医協では制度を広く知らせるために、ポスター、リーフレット。ワッペンを作製。リーフレットを配付したり近隣の学校を訪問して制度を説明すると、児童・生徒の状況に心を痛めていた学校側に喜ばれています。

民医連綱領バージョンアップにすべての職員が参加しよう! 各地で民医連"新"綱領草案学習会

「全ての職員が一度は学習会に参加」を、という県連の方針のもと各連絡会で本格的に学習・議論が始まりました。

上田→松本間で立ち寄った鹿教湯病院まつりで
「民医連ヒストリー」の取材にこたえる大石医師

東信では法人全体の学習会に職員と生協役員が参加しました。学習会では渡辺医師はじめ4人の職員が「私と民医連」を語りました。その後の連続学習会にはすでに90%以上の職員が参加。「綱領のひとつひとつが、毎日の仕事の中にちゃんとあるだろうか。見直していかないといけない」などの意見や、一人ひとりが私の職場自慢を語り、改めて綱領を深めています。
上伊那では夢いっぱいの楽しい学習活動を行おうと、プロジェクトチームがキャラバン隊として、各職場の学習を進めています。
また、青年職員がインタビュー形式で先輩の民医連ヒストリーを聞き出し、「民医連綱領バージョンアップ!イマジン・上伊那医療生協の未来」を発行しています。最初にインタビューをうけた大石美行医師(写真)は、「地域の皆さんとともに共同して医療を行い、率直に意見を言い合える関係づくり、これはどちらに片寄ってもダメなこと、患者との関係も二人三脚で」と語り、大きな反響がありました。今後も8月の評議員会までに全ての連絡会で制度教育、職場学習が計画されています。
さまざまな場で民医連の歴史から学び、率直な意見、感想を出し合い新たな「綱領」を自分たちの手で作り出しましょう。
(県連職員育成部 唐澤 一夫)

シリーズ発言 いのちを大切にする国へ(13)

長野中央病院副院長  番場 誉

長野中央病院副院長  番場 誉

2004年に施行された医師卒後臨床研修制度*への対応で、長野県民医連は幹部クラスの医師の異動や産婦人科の開設などの他に類をみない先進的な対応を行い、この6年間で18名が研修終了し12名が民医連の医師として働いています。
国は臨床研修制度の始まりと同時に顕在化した医師不足問題の解決という名目で、①年間入院3000名以上の大病院に限る②県毎に研修医枠の上限を決め各臨床研修病院の定員を固定化③いままで完全に義務付けていた基本的診療科目を減らし、実質1年で終了できる、などの大幅な省令改定を行いました。そのため実績のある民医連の中小規模病院の多くが施設認定を取り消されたり定員を削減されたりする『被害』が予想されています。
研修の中身の分析もなく与党政府の政治的な意図で制度が変わる事について、1200通を超える今までにない規模のパブリックコメント、それも圧倒的に反対の意見が寄せられるなど、医療崩壊の原因と対策を臨床研修制度に求める国の姿勢には批判が集中しました。そんな中で、国も研修制度の義務化が医師不足の原因ではなく、あくまでも顕在化させた一要因に過ぎないと認めるなど、われわれの反対運動は少なくない影響を与えています。
残念ながら圧倒的に多い反対意見は無視される形で制度はかわってしまいました。長野県民医連は定員こそ削減される可能性がありますが、これまで同様に総合的なローテート研修を継続し、またさらに内容や規模の拡充を目指します。いままでどおり県連一丸となって優秀な医師養成に協力していこうではありませんか。

※「医師卒後臨床研修制度」とは
00年の医療法・医師法の改正によって、04年から臨床指定病院で2年以上の研修が義務化された研修制度。研修医は公募方式によるマッチングで、研修先を決定する。長野県内には、04年までは数カ所しか研修先がなかったが、現在、28の臨床指定病院がある。基本的な臨床能力を身につけるために始まったが、今回の改定では何の検証もなしに変更される。


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