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長野県民主医療機関連合会

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FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第233号 2009.10.25

"水俣病大検診"であきらか 水俣病は終わっていない!

9月20~21日、熊本・鹿児島両県に接する不知火海沿岸住民健康調査=水俣病大検診が、患者団体の要請で実行委員会により行われました。22年ぶりに行われた大検診は、7月に成立した「水俣病特別措置法」(以下特措法)では救済されない患者の掘り起こしを主な目的としています。
全国から650人を超える医師、看護師、事務職員などが参加し、住民1051人の検診にあたりました。長野県連からは4人が参加しました。その様子を熊谷嘉隆医師に報告してもらいます。

最近になって症状が出始めた人も ~検診の実際と結果~

健和会病院医師・長野県民医連会長 熊谷 嘉隆

二段階式の確実な検診
検診会場マップ
★は検診会場
百崎医院での問診(熊本県芦北町)
百崎医院での問診(熊本県芦北町)

検診は、民医連だけでなく地域医師会の医師や大学研究者等も参加し、地域も八代海(不知火海)を中心とした対岸の天草にまで及ぶ広い範囲(17か所)で行われた。
検診方法は、30分以上かけた詳しい生活歴の問診、90人近い医師が約80項目の細かい自覚症状のチェックを行う一次検診、その上に確実を期すために40~50人の神経内科医を中心とする二次検診医が再度診察を行い、症状を確認するという確実な方法がとられた。そして診断書あるいは保健手帳が発行された。
国からも環境庁の医師資格を持つ技官が参加せざるを得ない状況になったが、歯切れの悪い言葉と取材陣に対し見解拒否を貫きながら、各検診会場を視察していた。複数の国会議員も視察に訪れた。

長島町文化ホールでの問診(鹿児島県長島町)
長島町文化ホールでの問診(鹿児島県長島町)
長島町文化ホールの仮設診察室(鹿児島県長島町)
長島町文化ホールの仮設診察室(鹿児島県長島町)
出血するほどのケガに気づかない
チッソ工場は水俣協立病院と道路をはさんだ向い側
チッソ工場は水俣協立病院と道路をはさんだ向い側

1日目、私は水俣からバスで20~30分離れた、芦北町で一次検診を行った。
ほぼすべての方が、子どもの進学・結婚・親族の勤めに影響があるということで、今まで検診を受けていなかった。親族の中の誰か1人は必ずチッソに勤めているという、チッソで成り立っていた水俣地域の人びとの苦悩を推し量るに十分な理由である。
海岸の水俣地域から遠く離れた農村には毎日のように魚の行商により、「豊かな」海の幸が運ばれた。長野県人が家庭菜園で野菜を日常的に作ったり、貰ったりして食べるのと同じように、八代海の魚はこの地域の人の日常的な食材となってきた。
私が診察した50代と40代の婦人は、明らかに末梢触覚障害と痛覚障害があり、診察により自分が強い平衡感覚障害があることに、強いショックを受けていた。日常的に舌の感覚が弱くなり、頻回に舌を噛むという。足に重いものを落として出血するような程度の傷になっても気がつかないことがあると話していた。しかも症状を自覚したのはここ最近だという。
このような実態と間近に接し、これは「国の責任」などという言葉ではなく、「国が判っていながら侵してきた犯罪」という言葉が最も当てはまると思えた。

認定外の年齢、地域にも水俣病患者
水俣協立病院の川上義信院長が説明を行った、検診前日のオリエンテーション
水俣協立病院の川上義信院長が説明を行った、検診前日のオリエンテーション

大検診の結果は、検診を受けた住民1051人中600人を超える受診者にメチル水銀が原因と考えられる神経障害が認められ保健手帳が発行され、約360人が認定申請を行った。認定外とされた昭和44年以降に生まれた39歳以下の若年者も60人弱が受診し、少なくない人数に症状が認められた。
また、国の定める認定対象地域外の広範な地域に水俣病患者がいることが証明され、メチル水銀が魚を介して八代海に面する広範な地域や周辺山村に住む住民の体に蓄積されてきたことが判った。水俣で育ち、のちに移り住んだ大阪から検診に訪れて水俣病と診断された人もいた。
7月に制定された特措法は、認定患者の申請ができる地域を限定し、69年(昭和44)以降に生まれた人の認定資格を認めていない。これがいかに現実からかけ離れた基準であることか、検診により明らかになった。
22年前に民医連が行った同規模の検診以来、国は何の検診も行っていない。正確な現状認識もないままに今回の特措法を成立させたやり方は、十分批判されるべき理由がある。
芦北町の検診でご一緒した水俣協立病院の藤野糺名誉院長からはさまざまな話を聞いた。
平成16年に国が八代海のメチル水銀濃度は安全値に低下したと発表したが、多くの研究者から、「特措法で申請期限とされる3年以上経過すれば水俣病発生の危険が去り、認定の必要がなくなるとは到底考えられない。将来にわたり水俣病発症の可能性に期限はない」という研究結果が出されているという。
また今、中国とインドがメチル水銀中毒で深刻な状況にあるという。先生は中国の学会で精力的に活動され、水俣と同じ事を繰り返されないようにしたいと話された。

"民医連の力"を実感
出水市公会堂での問診(鹿児島県出水市)。TVカメラが取材
出水市公会堂での問診(鹿児島県出水市)。TVカメラが取材

今回の大規模検診は、初日から全国の新聞・テレビで大きく報道された。前日の夜9時から行われた民医連職員向けの検診説明会にもNHKが取材に訪れ、2日間の全日程を密着取材した。報道で紹介された「民間の医療機関」とは民医連そのものである。
検診に参加して、改めて民医連の力を実感した。大きく世論を動かした今回の検診は、民医連でなければできない活動のひとつだ。
検診を行う医師のほか、平衡感覚障害のある患者さんの診察には、安全のために看護師の介助が不可欠で、医師と同数の約150人が参加した。また、ていねいな問診のために事務職員も医師の2倍以上の約290人が参加した。これらの人海戦術は民医連の組織力でなければできない。
私が以前勤めていた山梨巨摩共立病院と柳原病院の看護師さんも一緒に診察をしたが、民医連の青年職員にとって、人間としての成長を刺激する経験になる。この取り組みは確実に民医連の組織と人を強くし、日本の医療の中で民医連の存在価値を内外に示したと思う。

相談コーナーでは弁護士の相談も
相談コーナーでは弁護士の相談も

一方で、戦後日本が経済成長のみを重視して企業をかばい続けた結果起きた水俣病の教訓を、日本の政治も社会全体も総括できていないと強く感じた。一度環境が汚染されると、その爪痕は100年も200年もさらに永く自然に刻みつけられ、残留物質は永く生命を痛めつける。
このような悲惨な出来事を起こさないための、我々民医連が社会に働きかける課題はまだまだたくさん残っていると、身がひきしまる経験でもあった。


大検診計画の背景

7月に自公政権下で成立した水俣病特措法は、認定患者に対する企業と国の責任を回避する以下のような重大な問題点がある。大検診はそれを明らかにするものである。
❶水俣にある原因企業のチッソが分社化により施設を売却し、チッソ本体の会社をなくすことになった。これは水俣病の原因を起こした企業が患者に対する保障責任を放棄したままいなくなることで、企業責任が不問に付されることになる。
❷7月に水俣病措置法が制定されたが、認定する患者の居住地を一定地区に限定した。
❸チッソが操業を中止した昭和43年後の、69年(昭和44)以降に生まれた人を認定対象からはずしている。
❹今後3年以内に発症・申請する人以外に申請を認めない期間限定法になっている。
❺22年前に民医連が行った1000名規模の検診以降、大規模な検診は行われておらず、国が責任を持つ十分な検診調査を1回も行わないで、患者認定の枠を狭める特措法を制定した。

水俣病とはなにか《原因と経過》

1932年(昭和7)からチッソ水俣工場では水銀を触媒に使うアセトアルデヒドの生産を始めた。
50年頃から、水俣湾では魚が浮きあがり、カラスが空から落ち、猫が踊り狂うなどの異変が現れた。
53年頃からは、水俣市一帯で視野狭窄、難聴、言語障害、手の震え、歩行困難などの症状を訴える人が増え、死亡者が続出した。
56年、熊本大学の研究機関が「奇病・水俣病の原因は有機水銀」と発表し、熊本県も国も認めた。しかし、チッソが使うのは無機水銀であることを唯一の理由に、国とチッソは「メチル水銀は排出していない」と、有名国立大学の学者を動員して反論し続けさせた。
68年、ようやく国は、チッソが排出したメチル水銀に汚染された八代海の魚介類を食べ続けたことが水俣病の原因であると公式に認めた。しかし、それまでの12年間に、56年以前とは比較にならない量のメチル水銀により、多数の水俣患者が発生した。


参加者の声 患者数の多さに驚愕

松本協立病院・看護師 矢野 太洋

水俣病は小学校の社会科の授業で学習して以来で、実際の病態などは検診に参加するまではよくわかりませんでした。しかし、参加の話があったときに、自分の中で何かひかれるものがあり、「参加してみたい」と感じました。
不知火地域の検診受診者は1000人を超え、その大多数から水俣病ではないかと思われる身体所見がありました。主な所見は、四肢末端・口唇付近を中心とした神経障害(触覚、痛覚)、平衡感覚障害、視野狭窄で、私が診察介助した受診者のほとんどで同様の所見がありました。
今回の大検診でこんなにたくさんの水俣病の可能性のある人が出たことは驚愕でした。水俣病が認定されてから53年が経過してもまだこれだけの水俣病被害者がいることに、とても驚きました。そして、この大検診を通してすべての水俣病患者が国からの何らかの保障を受けられるようにすべきだと、改めて実感しました。今後の動向に注目していきたいと思います。それと同時に、全国から集まった民医連の医療関係者の水俣病に対する関心の深さにも感激しました。
私は大検診に参加して、少しでも力になれたこと、民医連として同じ志の仲間と目的を果たせたことにとても感謝しています。民医連の病院に勤めて2年半が経ちますが、この病院の良いところを自分が行動して感じることができたことは、看護師としてとても大きなことだと実感しています。社会的立場にたって行動する民医連の理念の意味を、少し理解できたのかと思っています。今後も、このようなことに積極的に参加することで、自分の看護観を少しずつ構築していって、自分が理想とする看護とは何かを探していければと感じました。

参加者の声 必死に闘ってきた人がいるから、いまも救える人がいる

上伊那生協病院・事務 小林 千里

私は問診係として参加しました。
今回初めて検診を受けるという方が大勢いました。これまで、何十年も水俣病の症状に苦しんでいながら、なぜ一度も検診さえ受けなかったのか不思議に思いましたが、答えはすぐ見つかりました。
水俣病の原因は、チッソという会社から海に排出された水銀によるものでした。この「チッソ」という会社は当時から、日本の化学工業の先頭をゆく会社だったそうです。つまり、この水俣市はチッソの繁栄あっての町だったのです。そのため、水俣病の認定を受けるということは、会社だけでなく、市や国を敵に回すほどの覚悟が必要だったのです。
長い年月が経ち、さまざまなしがらみから解放され、やっと受診することができたのでした。もし、民医連という組織がなかったら、今回私が出会った人たちは、一生苦しみ続けていたかもしれません。
水俣協立病院は、多くの被害者の要望でできた病院だそうです。被害者のみなさんが必死な思いで立ち上がり、その思いに応えた医師やスタッフみんながこれまで諦めずに闘ってきたからこそ、今も救える人がいます。小さな町の小さな病院で始まったこの大きな取り組みに、全国から医師や看護師、スタッフが集結できるということも『民医連』という組織だからこそできることなんだと実感しました。
これまで、さまざまな活動を通じて民医連の規模の大きさを感じることはありましたが、今回この大検診に参加したことで、本来の民医連の姿を体感することができたと思います。

長野県連からは過去最高の演題数で参加 全日本民医連学運交ひらかれる


10月2~3日、第9回全日本民医連学術・運動交流集会(群馬県前橋市・参加規模1170人)が行われました。長野県連からは50人が参加し、口述とポスターで37演題を発表しました。
私は、「教育学習活動と人づくり、青年育成/介護職の養成と介護ウェーブ(第10分科会)」で、県連介護委員会で実施した実態調査を報告しました。
この調査は、08年度に650人を超える介護士(職)を対象に実施したものです。調査実施に向けた議論の積み重ねが実を結び、全国に発信できたことは貴重な体験...また委員会としての成長をも実感しました。
全国各地での多くの実践を学び、この経験を今後の委員会活動の発展に役立てていこうと思います!
(塩尻協立病院・笠原 奈美)

上伊那医療生協 いちごハウス 職員向け病児保育はじまります!

上伊那生協病院に職員向け病児保育室(いちごハウス)

朝、子どもの急な発熱!保育園はダメだし、だれにも預けられない。「どちらが休むか」、朝からやり場のない夫婦の駆け引き。そんな時にあったらいいな!が実現します。
10月26日、上伊那生協病院に「職員向け病児保育室(いちごハウス)」が誕生します。かかりつけ医受診後に利用できます。
時間は平日午前8時から午後6時まで。定員は2~3人。デイケアのスタッフと定年退職して家にいるベテラン保育士さんが担当します。
保育室は病院とも連携を取りながら、親も安心、子どもも心地よい場になるよう、一人ひとりの子どもの病状や発達に寄り添った、質の高い保育を目指します。
近隣に参考事例がなく手探り状態ですが、「働き続けたい!」と願う看護師・医師等のより所・繋がりの場になれば嬉しいです。 (古畑 克己)


シリーズ発言 いのちを大切にする国へ(17)

諏訪共立在宅療養支援診療所長
医師 木下真理子

診療所スタッフと(中央)

在宅療養支援診療所を立ち上げ、丸2年が過ぎました。当診療所は、文字通り「在宅療養」を「支援する」というはっきりした目的でつくられた診療所であり、往診だけでなく、在宅に関わる全ての職種と広く強固な連携をつくり、取りまとめる事も大切な仕事です。また、その中で、「どうやって在宅で看取るか」ということも大きな課題となっています。
先日行われた全日本民医連学術・運動交流集会で、当診から「在宅で看取るということ」というポスター発表をしました。演題をまとめるにあたり、約1年半に在宅で看取らせていただいた患者さんについて検証し、「在宅で看取るための条件」をあげてみたところ、それは少し衝撃的なものでした。
①理解力・判断力のある、ほぼ毎日介護可能な家族の存在
②本人の「家にいたい」という意志がはっきりしている
③本人の苦痛が少ない(在宅での医療行為・緩和ケアのスキルがある)
④24時間対応可能な診療所と訪問看護ステーションの存在(と連携)
③④については、われわれの側の努力と工夫で頑張れそう(それでもギリギリ)ですが、①については、経済的にも体力的にも、家族の1人が介護に徹していられる家庭は、この不況の中では、ほんの一握りではないでしょうか。かといって、医療も介護も決して安いものではなく、医療保険や介護保険を使ったとしても「これで大丈夫」と思えるようなマネージメントもできないのが実情です。
提供する側も受ける側も、満足のできない医療福祉サービス。その中でお互いに余裕がなくなり、ともすると「家族がもっと看てくれれば」といった優しくない感情が生まれ、患者さんにストレートに反映してしまう危険をはらんでいます。
これから本格的な冬を迎えます。諏訪は特に寒さが厳しく、路面も凍り、往診に出かけるにもそれなりの覚悟が必要となります。それでも私たちは白い息を吐きながら、転びそうになりながら、凍てつく町に飛び出します。そんな私たちの思いと、私たちを心待ちにしてくれている患者さんとその家族の思いが少しでも報われる社会になって欲しいし、していきたいと思う、立ち上げ3年目の今日この頃です。 ※写真は診療所スタッフと(中央)


東南西北

上伊那

デイケア外出企画でぶどう狩り♪

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恒例のぶどう狩りが行われました。今年は9月10日の開園初日から出かけ、お腹いっぱい食べました。テーブルに並んだデラウエア、コンコード、ナイアガラの3種類のぶどうを「こっちが甘いかな?こっちかな?」とパクリパクリ。いつも以上の笑顔がたくさんあふれたぶどう狩りでした。

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新装開店、ひまわり薬局

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10月13日、ひまわり薬局が移転新装オープンしました。今までは路地を一歩入った建物の2階という場所でしたが、大通りに面し、入りやすい店舗になりました。やさしい色合いと木調のナチュラルな待合スペース、バリアフリーやキッズコーナーを設け、利用しやすい環境を整えました。「近い」だけでなく「行きたい」と感じてもらえる薬局をめざします。

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あずみの里ではボランティアと職員で、月1回定期的に施設の環境整備に取り組んでいます。10月10日は地域の方々と草取りや枝の剪定作業をしました。休みの職員や出勤の前に一仕事する職員もいて毎回参加者が増えています。終わった後のお茶会も楽しみのひとつです。

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蓼科山登山「川田隊長に続け!」

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10月11日、川田崇雄医師ブレゼンツ登山第3弾の蓼科山(標高2530m)登山が行われ、8人が参加しました。序盤は快調なペースでしたが、最後の1㎞は岩場を両手も使ってよじ登る難関。足もあがらず声も出ずでしたが、頂上からの景色は最高!川田隊長の言うことを良く聞いて、楽しい秋の一日を過ごしました。

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暴れ獅子がやってきた!

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9月19日、地元、三才区の秋祭りが行われ、老健ふるさとにも「暴れ獅子」がやってきました。威勢のいい鐘の音と「わっしょい、わっしょい」の掛け声も勇ましく、大きな獅子頭が療養棟を駆け抜けました。利用者さんは、あっという間の獅子の訪問に驚いていましたが、手を叩いて一緒に祭りを楽しみました。

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うたごえで全国6位!

うたごえで全国6位!

9月12日、佐久で行われた「第25回医療のうたごえ全国祭典inながの」に中信民医連うたごえサークルが初参加しました。演奏曲は大阪民医連から生まれた「いのちをつなぐ人たちの歌」の組曲から2曲。現場から生まれた歌なので、想いを込めて歌え、23団体中6位で準推薦団体に選ばれました。来年は北海道。一緒に歌ってくれる仲間大募集です。



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