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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第239号 2010.05.25

NPT再検討会議ニューヨーク行動に4人の青年職員が参加 参加者に感想を寄せてもらいました。

4月29日から5月6日まで2010年NPT再検討会議ニューヨーク行動に県連代表として4人の青年職員が参加しました。4月30日から2日間は国際平和会議、5月2日の国際行動日では1万人を超えるパレードをして、カバクテュランNPT会議議長とドゥアルテ国連軍縮上級代表に署名を手渡しました。3日に公開シンポジウム、4日は医療・福祉関係者のつどいに参加し、署名活動は毎日取り組みました。

NY街頭での貴重な212筆

諏訪共立病院・I
NYでの署名行動

「No!」の一言から始まったNYでの署名行動。先行き不安な僕を救ったのは「Sure!」と、同じ気持ちで行動できる仲間がいたから。慣れない英語でも聞き入れてくれる人々。文章を読み笑顔で署名してくれる人。この時、平和に対する気持ちはNYでも同じなんだと確信できました。3日間8人で212筆。この数字は、僕のNYでの最大の想い出です。
タイムズスクエアから国連までのパレードでも日本・アメリカを問わずたくさんの世界平和を願う人々と交流することで自分たちの活動に自信がつきました。
草の根っ子は地中に伸び続けるようにこのNY行動をきっかけに、さらなる核削減、戦争のない世界の思いが広がりを見せていけるよう行動していきたいです。(写真右端)


核兵器廃絶へ国も文化も超えて

上伊那生協病院・Y
平和パレード

私は4月30日に成田からシカゴ経由でNYに到着予定でしたが、まさかの天候不良での航空機遅延...「ひょっとして楽しみにしていたNY市内での署名ができないかも!?」「明日NY未到着だと平和パレード出れない!?」と心配しましたが翌日無事にNYに到着することができ、平和パレードにも参加してきました。
平和パレードでは、宗教団体の方やアメリカで平和を訴えながら700マイル歩く行動をしているアメリカ在住(長野県出身!!)の方、NY市民の方等、本当に数え切れないほどの人が国を越え、文化を越え、核の廃絶を訴えており、互いに刺激し合って協力し合ってくることができました。
他にも国際シンポジウム、国連内での核被害についての展示などお伝えしたいことがたくさんあります。さまざまな機会を使ってこの素晴らしい体験をお伝えできたらと思います。


国際平和会議に参加して

長野中央病院・S
国際平和会議に参加して

4月30日から2日間行われた国際平和会議には、アメリカ・ドイツ・フランス・イギリス・ノルウェーなど世界各地から平和活動家が約800人が参加しました。
1日目に日本被団連の田中照巳さんが被爆体験を語りました。被爆の悲惨な現実、家族を失った悲しみを具体的に語り、心に重く響きました。閉会総会で国連事務総長パン・ビムン氏は、「来週、私は核保有国に対し、この義務(NPT)を果たすよう呼びかけます」と述べ、最後に「どうか行動続けてください。警告を鳴らし、圧力をかけ続けてください。私たちは必ず世界から核兵器をなくすでしょう」と話し、観衆からはスタンディングオベーションが巻き起こりました。
言葉が通じなくても、共通の目的に向かって世界の人と手を取り合えることを実感しました。


核兵器廃絶を訴えてマンハッタンをパレード

松本協立病院・S
核兵器廃絶を訴えてマンハッタンをパレード

今回の参加で一番の思い出は何といってもパレードです。日本からの参加者は浴衣や法被、お揃いの衣装を着て地元の踊りや音楽などを演奏しながらマンハッタンを歩きました。
パレード中は手を振ってくれる人や珍しそうにカメラを向ける人など多くの人が注目してくれ、核兵器廃絶の願いをニューヨークに響き渡らせることができたと思います。
参加させていただいて感じたことは「核兵器廃絶」という願いは日本国民だけのものではなく、世界中の願いであり、その先頭に立っているのが草の根の運動だということです。微力であっても無力ではなく、みんなの力が集まれば世界世論を動かす力になるということが実感できました。
これからは今回の経験を生かしてさらに草の根の運動を広げていきたいと思います。(写真右)


県連総会特集 日本と信州全体を視野に、憲法を生かし、地域医療・介護の再生と創造の旗手に 県連▪第6次長期計画を決定

イラスト

4月24日、松本市浅間温泉文化センターで行われた第29回長野県民医連定期総会に、149人の代議員が参加しました。
この総会の特徴は、(1)09年の衆議院選挙後の新しい政治情勢下で開催 (2)2月の全日本民医連総会で新綱領が決定 (3)2015年度までの6年間の長期計画の決定、の3点です。
午前9時半に具志堅進副会長が開会を宣言し、熊谷嘉隆会長、来賓があいさつしました。討論は46通の発言通告が出され、31人が発言しました。午後4時過ぎ、清水信明副会長の閉会あいさつで幕を閉じました。
討論では、若い職員がピースゼミナールで学んできたことを堂々と発表し、NPTに派遣される職員がこれまでの活動に確信を持ち、「核兵器はなくさなければ」と発言している姿が印象的でした。渡辺彰三顧問は「第5次長計をつくったところでバトンタッチしました。その計画が達成され、次の目標へ向かっていることに感激しました」と感想を述べていました。

149人の代議員が参加
▲149人の代議員が参加
採決
▲採決

長野県民医連・第29回定期総会 スローガン

(1)2010年代に憲法が花開く日本と信州めざし、新民医連綱領と県連第6次長期計画の実践を旺盛にすすめよう
(2)13万5千人の共同組織と力をあわせ、いっそう質の高い医療・介護実践をすすめ、社会保障の拡充と民主的自治体の拡大を実現しよう
(3)130人の医師集団づくりをはじめ、民医連運動を総合的に担う職員の養成と幹部・リーダーの育成を成功させよう

熊谷県連会長挨拶(要旨)

今総会は、新しく飯伊民医連連絡会のゆいの里・特養ゆいの民医連加盟で3名の代議員が参加しています。大きな拍手で新しい仲間に歓迎の気持を表したいと思います。

今の時代をどう見るか

2月に全日本民医連総会が開かれ「現在の政権をどうみるか」「構造改革の10年を振り返る」という論議がされました。私は30年前から政治の軸足が大きく変わったと考えております。1983年に「医師過剰論」で医師養成が抑制。84年、健保本人の窓口負担が1割に。86年からは国民健康保険の国庫補助が削減。消費税が導入されたのが89年。97年には健保本人負担が2割に。98年から大幅な診療報酬削減が始まりました。高齢者の医療費負担が増やされ、受診抑制がすすんでいます。医療費抑制と受診抑制で全国の医療機関の経営はたいへん困難になりました。
G7諸国の「家計の医療費負担」は、だいたい5%未満です。ところが日本は11%。国民皆保険制度がないアメリカに次いで2番目に重い。これが社会保障制度だろうかと疑いたくなる状況です。この間、「自己責任論」「受益者負担」「個人責任」という宣伝が、大手を振って発信されました。同時に社会保障制度にたいする国民の負担は増え、一方、国は責任を放棄し国保財政への補助を減らしました。
このような中、今までの政治に国民がレッドカードを突きつけたのが昨年の選挙でした。みなさんご記憶でしょうか?15年前、政治不安の中で非自民の細川内閣が誕生しました。その後、村山内閣を経て、自民党の橋本内閣と逆もどりしました。今、日本の国民は逆もどりを期待してはいません。政治の流れは単純には進すまず紆余曲折もありますが、日本の社会の底流では歴史の歯車が確実に動き始めていると思います。

民医連が果たす役割

今まで全日本民医連は、数々の全国規模の実態調査を行ってきました。08年、後期高齢者医療制度の調査では長野県民医連も数百人規模の調査を行い記者会見を行いました。当初、国は「約70%は保険料が安くなる」と宣伝しましたが、民医連が行った7000名の調査では、保険料が下がるのは約6.6%でした。この報道から、日本の世論が変わりました。事実の報道に対して、政府は何も反論することができません。
民医連は戦前の無産者診療所の時代から、住民にもっとも近いところで活動し、高い人権感覚を持ち、住民と結びついています。憲法の理念の実現を目指す民医連の主張と活動のスタイルは、まさに今、日本の歴史の歯車を希望ある未来に向けて回す、大変有効で重要な力になっています。引き続き質の高い医療と介護の活動を追求しながら、地域の中で連携を強め、共感と連帯の輪を広げて、世論と政治を動かしていきましょう。

代議員の発言

総会では、31人が各事業所の実践を報告し、議案を深めました。文書発言も含めたすべての発言は、会長あいさつ、来賓あいさつなども網羅した総会決定集に掲載します。今回は4人の発言を抜粋で紹介します。

産婦人科分娩開始から1年

長野中央病院・K代議員

組合員の要望から産婦人科医を目指した井吹医師が08年4月に着任し、待望の産婦人科が開設しました。長野中央病院にとって、歴史的にも今日的にも嬉しい出来事となりました。分娩は1年後から開始となり今日までに約70件に到達しました。
内科病棟の12床を産婦人科病棟としていますが、新生児室は新しい命の誕生で喜びにあふれお祝いムードがいっぱいです。おかあさん、おばあちゃんからは「入院したときから助産師さんがずっと支えてくれて、とても心強かったです」「アットホームで安心」「個室なので赤ちゃんが泣いても気兼ねなく過ごせる」と好評です。出生後、小児科医師が診察し見守る環境は、より安全で安心です。
しかし、医師1名助産師5名と体制は厳しく、「いつ呼び出しがあるかわからないのでいつも緊張している」と助産師は待機制に負担も感じています。また、看護師も学習はおこなってきましたがまだ不安を感じることもあります。そんな中でも新たな命の誕生はとても感動するもので「がんばろう」と勇気がわいてきます。井吹医師は「赤ちゃんをみると誰もがやさしい笑顔になります。そんな笑顔をもっと増やしたいですね」と疲れた様子も見せず笑顔で語ります。
少しずつ外来患者も増え、里帰り分娩も受け入れています。何より嬉しいのは「職員」がここでお産をしてとても満足していることです。安全な分娩には体制の充実が不可欠です。医師の複数化、助産師の増員・支援を県連全体で考えていただくことを強く要望します。

歯科医療分野の実践と到達について

松本協立病院歯科センター・O代議員

松本協立病院歯科センターの歯科医療分野の実践について発言します。
歯科医療は、第5次長計で重点課題として位置づけられました。開設から6年が経過し、新たな前進を築きました。当センターでは内科的な投薬コントロールが必要な抜歯などの観血処置、顎関節異常や睡眠時無呼吸症候群、原因不明の炎症反応や口腔周囲の異常への対応、循環器オペ前の口腔内精査など、医科歯科連携が日常的に行われています。
糖尿病や呼吸器・心疾患、透析や感染症患者、妊婦や障害児、精神不安や不定愁訴をかかえる患者など、従来の歯科医療では敬遠されがちであった患者への治療で大きな役割を発揮しています。また、在宅、老健、グループホームへの定期往診。口腔ケア専任の歯科衛生士が施設・病棟を巡回。DM教室、NSTへの参加も大きな特徴です。義歯や審美的要求の高い補綴処置、矯正治療など多様な患者要求に応える質の高い歯科医療の提供が高く評価され、まさに地域になくてはならない存在となっています。
近年、歯科医療から排除されている患者が増大している中、『保険でよりよい歯科医療を』長野県連絡会の構成団体として制度改善のため奮闘しました。多彩な地域活動に開設から一貫してとり組み、受診に結びつけています。予約患者数は過去最高を更新し続け、「歯科は赤字」という民医連内の定説をくつがえし、09年度は法人経営に大きく貢献する黒字部門となりました。
最後に各法人で積極的な歯科医療の展開が議論されることを期待します。

地域連携と法人リハビリテーション部門の役割

上伊那生協病院・S代議員

法人のリハビリテーションの現状と役割。連携について発言します。上伊那医療生協のリハは2001年度、診療所、老健、小規模デイケア、訪問リハで、職員は5人でした。病院の建設で、上伊那地域で唯一の回復期リハ病棟、デイケアの拡大、地域全体をカバーする訪問リハビリステーションの確立などを進めて、現在PT21名、OT22名、ST4名、計47名となりました。
2010年1〜3月期、当院回復期リハ病棟の入院者は75件。そのうち87%(65件)が急性期救急医療を担う自治体病院からの紹介です。患者住所は上伊那地域が100%。3月の退院者のうち在宅復帰率は73%で、地域内連携の好循環をつくっています。一方、ポストアキュートを担う回復期リハ病棟と療養棟、介護施設分は不足し、紹介から当院転院までの待機期間は22日。これ以上の短縮は当院のみの努力では困難です。
08年から伊那中央病院整形外科との間で「大腿骨頸部骨折パス」の運用が始まりました。認知症や嚥下障害など高齢者に付随する諸問題をかかえ、相互に困難事例にとりくむことで信頼関係が築かれ、年間100名を超える患者紹介があります。「脳卒中パス」については脳外科、神経内科医師に当院の回復期専任医師を加えた上伊那脳卒中研究会で検討しています。回復期リハ病棟開設をめざす2つの自治体病院を加えてパス推進会議を開き、開業医である上伊那医師会長をふくめ、連携の意思統一がすすんでいます。地域連携がすすむほど専任医師1人体制では負担が大きく、専門医師の単位支援を強く要望します。

訪問介護の質の向上をめざして

ヘルパーステーションにじ・H代議員

ヘルパーSTにじは、介護保険の開始とともに発足して10年となりました。現在、ヘルパー27名(常勤3名 パート2名 登録ヘルパー22名)で約90名の利用者さんを訪問しています。
当事業所ではヘルパーが個々に事例発表することを通して、自分の仕事をふりかえるとりくみを04年から行っています。平均年齢50代。ヘルパーを始めるまでは主婦だった方にとって、「事例などという言葉も聞いたことがない」というなかではじまりました。
最初は時間ばかりかかりました。発表時間を決め様式を変え工夫してきました。今年から質疑応答の時間や感想を伝えたりする時間を確保するために、発表を2回にわけました。時間にゆとりがもて、感想を聞くことで発表者も満足感を高めることができました。6回目となり、まとめ方もずいぶんと上達したと感じます。「継続は力」と実感しています。また、法人内のケアマネや訪問看護のスタッフ、理事など他の部署の人にも来てもらいました。感想や激励の言葉をいただき、ヘルパーのやりがいにもつながっています。
訪問介護は1人で行う仕事のため、他のヘルパーの仕事ぶりや思いが伝わりにくいのですが、この発表会を通して思いを共有しています。新人ヘルパーの発表に自分の初心を思い出し、また他のヘルパーの利用者へのとりくみや考え方を知る機会となっています。「その人らしさに寄り添う介護」を共通の目標に、強い結束力が生まれていると感じます。今後も事例発表を続け、介護の質の向上につなげていきたいと思います。


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