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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第246号 2011.01.01

1か月9万円台の利用料で ずっと暮らせる高専賃をつくろう!

こころざし高く"特定複合施設こころ高島"オープン

諏訪市長もむかえてのテープカット
諏訪市長もむかえてのテープカット
祝賀会では木遣りも
祝賀会では木遣りも

諏訪湖まで徒歩3分
諏訪湖まで徒歩3分

10年12 月1日、諏訪市高島に『特定複合施設こころ高島』がオープンしました。諏訪湖や桜の名所・高島城まで徒歩数分、静かな住宅街にある元社員寮を改築しました。
1階はデイサービスとショートステイ、2・3階が高齢者専用賃貸住宅(高専賃)で特定施設入居者生活介護施設です。高専賃の利用料は1か月9万9900円。破格の金額設定に注目が集まっています。

「住み続けられる」ことを第一に
金子智子理事長
金子智子理事長
藤沢仙芳副理事長
藤沢仙芳副理事長
茅野百男事務局長
茅野百男事務局長

自宅で暮らすことが困難になった高齢者の住み替え先として、高専賃があちこちにできています。大半は1か月の家賃・食費・光熱費で15万円以上です。「こころ高島」は、入居一時金100万円、1か月の利用料9万9990円(介護保険は別途)です。
この料金を実現させた「社会福祉法人こころ」の金子智子理事長は、以前、社会福祉協議会で働き、さまざまな介護を見聞きしてきました。その経験から、「日本のお年寄は、戦前戦後を通じて、世界一コツコツ働き続けたみなさん。それなのに老後の負担、生活の保障どれをとっても非常に苦しい方々が圧倒的に多い。その方たちのために、月10万円を切る利用料をなんとしても実現したかった」といいます。
「年金の少ない高齢者は、子どもや親せきの援助が少なからず必要です。月々の支払いが多いと1年や2年はなんとかできても、払い続けるのは大変。子どもの進学や不況で職を失ったりすれば、たちまち支払えなくなります。そうやって住まいを失うケースを何例も見てきたので、1度かぎりの一時金は高くても、月々は年金程度の金額に近づけようとみんなでがんばりました」
藤沢仙芳副理事長を中心に、どうしたら初期投資を低く抑え、入居者負担を減らせるか検討をしました。茅野百男事務局長の「最初は月7万円台で入所できないものかと検討しましたが、どんなにそろばんをはじいても無理でした」と残念そうな様子に、奮闘の日々が察せられます。
こころの建設には、国土交通省の交付金を利用しました。また、これまでNPO法人で宅幼老所を運営してきましたが、NPOだと収益事業所得の約4割が税金になります。そこで、「収益は利用者さんや地域に還元したい」と、社会福祉法人を取得しました。(1・2階に適用、3階はNPO法人)


"1人で百万円より、千人で百万円"の組織に
居室
居室
温泉を引いた浴室
温泉を引いた浴室

高専賃の定員は、2階が15人、3階が18人。部屋のタンス、机、ベッドは寮でのものを利用し、手すり付きトイレを増築しました。2階浴室には温泉が引かれました。入居対象は介護保険利用者ですが、自立の方も入居できます。
職員は30人採用しました。未経験者は数人でしたが、他の人も日中の介護サービスの経験のみ。そこで、民医連・諏訪地域連絡会の諏訪共立病院病棟、グループホームひなたぼっこ、ケアハウス高尾、ショートステイひまわりの家などで、2週間の研修を行いました。
竣工・開所式当日にも、入会金を添えて申し込みをする姿を何人も見かけました。藤沢副理事長は、「建物はできましたが、ここからが大事。たくさんの方に、民医連綱領の心を理解してもらい、こころ高島を支える「こころの会」の会員になってほしいです。1人が百万円出すより、千人で百万円集める組織にしていきたい」と抱負を語っています。
(取材:古池智/風間栄子/北村範子)

イラスト

※1 高齢者専用賃貸住宅とは、高齢者の入居を拒まない「高齢者円滑入居賃貸住宅」のうち、高齢者を賃借人とする賃貸住宅。適合高齢者専用賃貸住宅として都道府県知事へ届け出ることにより、介護保険法の特定施設入居者生活介護の対象となる。これにより、入居している要介護者に、介護サービス計画に基づいた介護、日常生活への支援、機能訓練ができる。
※2 交付金名「平成22年度高齢者等居住安定化推進事業、生活支援サービス付高齢者専用賃貸住宅」

新年によせて

長野県民医連 会長 熊谷 嘉隆

長野県民医連 会長 熊谷 嘉隆

 あけましておめでとうございます。
 過去2年間に、中央の政治の勢力図が大きく変わりました。自民党・公明党の連立政権が民主党政権に替わりましたが、私は国民生活の環境は一層悪化していると感じています。
 その理由は、①アメリカの核の傘に入る外交路線②大企業優先の税制・経済政策 ③教育と社会保障の抑制を図る制度改悪 ④農林魚業を軽視する政治 ⑤政権党が企業献金と政党助成金を受ける事が、以前と何ら変わらないからです。むしろ今までの自・公政治が一層悪い方向に進められています。
 国政を担う者の最大の役割が、「主権者である国民一人一人の安全と生活・権利を守ることであって、あれこれの理由をつけて他の国や特定の大企業の利益を守ることではない」...この大原則が当たり前のこととして考えられる世論を、今こそ広げる必要があるのではないでしょうか。
 しかし、現在のゆがんだ小選挙区制度により、国民の世論や意思が国会の勢力分布に正確に反映されません。草の根の運動を広げることと、それを担う地域の勢力を大きくすること、更に全国の運動と連帯・団結すること、何よりも地域の医療や介護を守って活動する中で、地域の皆さんからの信頼を大きくすることが、私たち民医連にとって大切です。今年も、長野県民医連の職員と多くの共同組織の皆さんのご協力をお願いいたします。
 来年は医療介護報酬が同時改定される年になります。社会保障全般の各分野で、急いで運動を広げなければなりません。今年も頑張りましょう。

いのちを守り、誰もが安心して生きられる社会に!

無料低額診療事業でいのちと暮らしが救われた 諏訪共立病院での事業開始から一年

諏訪共立病院医療相談室長太田 みちよ

無料低額診療事業は、国の抑制方針を乗り越えて全国の民医連で実施がすすんでいます。長野県連内では、09年に諏訪共立病院がはじめて同事業を開始しました。MSWによる病院待合での聞き取り、事業の意義を語りあい検討したさまざまな会議、「気になる患者さん訪問」から持ち寄られる実態を「なんとかするのが民医連」と出発した事業です。「いのちだけでなく、暮らしも気持ちも救われた」という感謝の声が広がっています。県連内の他事業所でも実施に向けて検討がはじまっています。

「いのちの平等」をかかげる民医連の大事な活動として私たちも多くのことを学びました
 諏訪共立病院医療相談室長 太田みちよ

1年間のまとめを発表した記者会見
1年間のまとめを発表した記者会見

諏訪共立病院が無料低額診療事業を開始して、10年9月1日で1年がたちました。10月1日には記者会見を行い、1年間の簡単なまとめを発表しました。

 20~90代まで73人が利用

事業利用ののべ人数は269人で、諏訪共立病院全患者の2・5%になります。
実際に事業を利用した人は73人です。利用状況は、10割減免20人、5割減免6人、自費減免47人でした。
申請者は20代から90代までと幅広く、病気をきっかけに働けなくなった若い方から年金生活を主とする高齢者で、低所得の方たち。利用者の約7割が、生活苦により治療が続けられない、受診できないという方たちです。


 「生活を守るための相談」につなげて
患者さんの正確な状況を把握するために行われたMSWによる待合でのアンケート調査(09年春)
患者さんの正確な状況を把握するために行われたMSWによる待合でのアンケート調査(09年春)

私たちは、この事業の目的である「いつでも、誰でも、安心して医療が受けられる=受療権」を守りつつ公的制度へつなげ、さらに当事者自身の生活の建て直しのきっかけになる「生活を守るための相談」を継続していくことに力を入れています。
行政の敷居がまだまだ高いといわれる生活保護の申請、国保44条の申請、障害年金、身体障害者手帳の申請などに、相談者の立場に立ってとりくんできました。 とくに国保44条については、申請用紙さえも置いていない市町村が大半を占める状況のなか、当事者の方といっしょに何か月も交渉して、はじめての申請用紙の交付・受理をかち取ることができてきています。


民医連の大事な活動
10年11月15日に行われた県連の学習会
10年11月15日に行われた県連の学習会

職員のなかでも「本当にはじめて大丈夫なのだろうか」という思いもありながらの事業スタートでしたが、患者さんの直接の相談窓口となるスタッフを中心に、この事業の意義を意識しながら連携がとれるようになりました。利用された方からは、「今まではどこにも相談できなかったけれど、相談できて安心した。うれしかった」という喜びの声が寄せられています。
毎日の生活の中で、その日1日を送ることに精一杯で、考える余裕も相談する余裕もなかった方が、この事業を知り相談をする中で自分の生活を見直し、自分はこれからどんな生活をしていけばいいのかを考え、その建て直しに努力し、自らの権利を行使しようと一緒にたたかう姿に、私たちも日々多くのことを学んでいます。
「いのちの平等」をかかげる民医連の大事な活動のひとつとして、さらに意識して取り組んでいきたいと思っています。

※国保44条とは:国民健康保険法第44条の「国民健康保険加入者は世帯主が失業など特別の事情のあるとき、医療費の一部負担金が減免される」という条文に基づき市町村が独自に行う減免制度。この制度は1959年に厚生省(当時)から通知が出されていたが、多くの自治体で実施されずにきた。しかし、失職などによる所得激減などへの対応措置として見直され、全国で44条に基づく減免制度確立の運動が広がっている。

事業を利用した患者さんは

家族とのきずなも取り戻し、定期受診で病状も安定

糖尿病と関節リウマチで、長く諏訪共立病院に通院している60代の女性。若い頃から病気のため長く働けなかったので、年金は生保基準以下です。息子さん達はいるものの家族はバラバラで、医療費、くすり代などの未収金が大きくなっていました。くてもいいと思っていました。病気が重くならずに生活できているし、息子も関わってくれるようになりまし
医事課をはじめ相談室以外の職種も一緒に「気になる患者さん訪問」を継続。本人の受け入れの変化と同時に、息子さんたちが次々に失業し、経済・生活状況が悪化するなかで、ようやく息子さんとの関わりもでき、無料低額診療事業を申請、10割減免となりました。
「今までも『まずは受診して』と言われましたが、受診しにくかった。このまま終わってもいい、医療にかからなた」と話され、不定期になりがちだった受診もきちんと受けられるようになりました。

病気を治しながらこれからの生活へ一歩前進

特殊な技術職の50代男性。自営で遠方まで出張しながらの仕事でしたが、仕事が激減。体調が悪いにもかかわらず、医療費の心配もあって受診がおくれていました。受診できたときには心疾患などが悪化していました。
まずは、病院に安心してかかってもらうために、無料低額事業を利用しました。その間に今までの仕事は辞めて、妻と新しい仕事をはじめました。それとともに、国保44条の申請と受理に向けて相談室とともに行政との話し合いを継続し、初めての申請、受理をかちとることができました。

新綱領を読む4

権利としての社会保障の実現のために

上伊那医療生協・副理事長 久保田 瑞穂

上伊那医療生協・副理事長 久保田 瑞穂

「娘がピアノ教室を開いているが、経費節減で生徒が来なくなった」「学習塾を開いているが中学2年から3年の間しか来なくなった」組合員増やしに回れば子育て中の家庭の悲鳴が聞こえてきます。
輸出や海外展開している大企業の決算は再び大きな利益を上げているのに、正雇用の職場もない。どこかおかしい日本社会になっています。
民医連綱領で「国と企業の責任を明確にし、権利としての社会保障の実現のためにたたかいます」の一項は今の社会にズシンと響くのではないでしょうか。
上伊那医療生協も「いのちの平等」「いつでもどこでも必要な医療が受けられる地域に」を共同の力でつくろうと高い志を持って立ち上がって20年余、今日では上伊那地域で医療・介護で一定の役割を果たせるところまで成長してきました。
この力は、地域の期待と要求が根底にありますが、これを支えた献身的な組合員、職員の奮闘、共同組織と民医連のご援助なしには語れません。
新綱領の下、力と知恵を結集して「すべての人が等しく尊重される社会をめざし」次のステップへ大きな一歩を踏み出したいと思います。

発信!反貧困-SOSネットから

社会保障費を大幅に増やし、医療・介護の拡充を求める10・21国民集会

活動から見えてきたこと、考えたこと、みんなに知ってほしいことがあります。

ハローワーク前相談行動から

松本協立病院・事務 小沢 康ß士
松本協立病院・事務 小沢 康士

風吹く中の簡易なテント会場にも関わらず、立ち寄ってくれた方。健康に不安を抱えながら、求職活動を続けているようで疲労の表情は隠せません。血圧測定をしながら聞き取りを始めると、かなり重篤な既往症がある様子。しかし受診を勧めても躊躇されます。立ち去り際にせめてと、連絡先を渡しました。
09年から始まった「ハローワーク前相談行動」(写真)は、月1回の開催を続けています。院内では決して遭遇できない、厳しい現実を知るこの行動、冬を迎えて相談場所の寒さ対策、地域の他団体との連携強化など課題はありますが、今後も「地域に出ることの意義」をかみしめながら続けていきたいと思います。

ハローワーク前相談行動

社会性まで壊す失業や貧困

長野中央病院・MSW 有賀 美香子
長野中央病院・MSW 有賀 美香子

50代男性は、障害を持つ息子、フリーターの娘と3人暮らし。雇用開発センターで資格を取っても就職に結びつかず、勤めた会社とはトラブルを起こし、ひとつの仕事が長続きしません。相談会に毎月参加して「会社が悪い、政治が悪い、世の中が悪い、こんなことでは生活できない」と愚痴をこぼしていきます。失業や貧困は自ら道を切り開く意欲を削ぎ、社会性や人間性までも壊していくように思います。
反貧困ネット長野では、相談者のみなさんと相談会場の窓拭きや農園の手伝いをはじめました。このような活動により、絶たれていた社会との接点が生まれます。「1人ではない」と実感しながら、新たな仕事や生活に自信を持って踏み出せるような支援活動が必要だと思います。

相談会は、ハローワーク前から中央隣保館に移して月1度開催
相談会は、ハローワーク前から中央隣保館に移して月1度開催


増加する日本人相談者

諏訪共立病院・MSW 山岸 舞
諏訪共立病院・MSW 山岸 舞

県連のSOSネットワーク担当者活動交流集会に参加して、どこも相談者数は減少傾向でも相談活動は引き続き行っているという事がわかりました。地域の支援団体との緩やかな繋がりを持つこと、行政への積極的な関わり、職員内の意思統一など、今後の課題を認識することができました。
「SOSネットワークすわ」は発足して1年半になります。外国人の相談がほとんどでしたが、現在は日本人の相談も増えてきています。相談に来られない方への働きかけや、当事者のたまり場作りが課題です。
生活保護申請や国保料減免集団申請などの行動により、行政の対応に少しずつ変化が出てきていますが、さらなる連携が必要です。

お子さん連れで相談に
お子さん連れで相談に

交流会で健康班会も計画

上田生協診療所・看護師 師岡 美紀
上田生協診療所・看護師 師岡 美紀

東信医療生協では、「職員全員が活動に参加しよう」と、相談会や「年末年始の家」の活動に毎回2、3人が参加しています。職員間の情報共有を図るため、相談会後には必ず「陽だまりネットニュース」を発行し、活動報告会は年数回開催しました。
10年に入り相談者が半減し、相談会は2か月に1度の開催です。生保を取得したものの仕事につけない人も多く、心のケアや生活自立に向けてのサポートが必要です。そのため、相談会のない月には昼食交流会(写真・なべ会)を行います。
今後は自らの健康に目をむけられるようなサポートとして、交流会時に健康班会を計画しています。また年末(12/31)年始(1/2)に相談会を行います。

なべ会


親の責任だからと言って
子どもが貧困であっていいのか!

健和会社保部長 大原 泰一
健和会社保部長 大原 泰一

15の団体でネットワークをつくり、事務局は飯伊民医連にあります。生活保護の申請などには必ず同席し、その後の相談にも対応してきました。
「家族で喘息があり、継続して治療が必要にもかかわらず中断しがちで、悪化すると受診する」と、小児科医から「気になる家庭がある」と連絡がありました。、訪問してみると、母と子の5人世帯で、訪問時、中学生は登校し小学生2人と高校生は自宅にいました。サイフの中は553円のみ。収入は、児童扶養手当約5万3000円と政権交代で新設された子ども手当約4万円、内職の4~5万円でした。景気悪化で内職の収入が半減し、高校生のアルバイト代が支えとなっていました。民生委員を通じ福祉課に相談に行ってはいたが進展がないまま。その日の午後、福祉課に出向き、生活保護の申請を行いました。
日本の子どもの貧困率(平均所得の半分以下の家庭で暮らす子どもの割合)は14・2%、特に1人親家庭が高くなっています。すべての子に自立できる教育水準と、進学できる学費をどう保障するかなど、考えさせられました。

イメージ

官民問わず地域の支え合いの輪に参加を

組合員センター・部長 水野 耕介
組合員センター・部長 水野 耕介

SOSネットワークの特長は、日系中南米系の移住外国人と地域からのボランティア、そして、医療生協の組合員と職員から成るチームが、「心を一つにして」支援活動を担ってきていることです。
国籍を問わず失業して生活に困窮している人が、今もすぐそこの地域にたくさん住んでいます。一緒にコミュニティ(居場所)を築きながら、総合的な支援活動に多くの職員や組合員のアイデアを寄せてもらい、官民を問わず地域のあらゆる人々にこの支えあう活動の輪に参加してもらえればうれしく思います。

支援活動70回のボランティアのみなさん
支援活動70回のボランティアのみなさん
手づくりケーキで「支援ありがとう」
手づくりケーキで
「支援ありがとう」


「やっぱり私は看護が好き」"時短制度"で元気に働きつづけるママナースが増えています。

中信地域連絡会

児介護休業法の改正により、中信地域連絡会でも10年6月30日から、時短制度を開始しました。
これは、3歳未満の子どもを持つ正職員が、育児短時間勤務(通称・時短)により、所定労働条件を2時間短縮することができる制度です。短縮時間・設定の方法は、事業所ごとに、決められますが、中信地域連絡会では、午前8時45分〜午後3時15分としています。
現在、松本協立病院で3人、協立福祉会で1人の看護師が希望して活用しています。
この制度を使うことにより、働き続けるママナースが増えることが期待されています。松本協立病院で「時短」を活用しているママナースと受け入れ職場の声をお伝えします。
なお、中信連絡会では、2月に「働くママナースを支えるパパの会」を開催する予定です。

利用しているママナース

(1歳5か月の男の子、11歳のお姉ちゃん、パパの4人家族)
(1歳5か月の男の子、11歳のお姉ちゃん、パパの4人家族)

10年の9月27日に、保育所確保の問題もあって塩尻から松本に異動して復帰しました。
時短制度は、育休中の同僚やママナースの会の情報で知りました。制度がまだ浸透していないこともあり、「早く帰ることで、職場に迷惑がかかる、申し訳ない」と不安だらけでした。
でも、今は違います。「自分は看護の仕事が好き」だと実感できています。自分にちょっぴりゆとりがあるので、患者さんに接するのが、楽しい。仕事で、解らない事は、家に帰って調べることができます。
なにより、子どもと接する時間があることがうれしいです。1人目の子のときは、夜勤をやりながら、夜9時まで1人で留守番をさせたら子供がパニックになり、「うちは崩壊する!」と思いました。思い切って制度を使ってよかったです。給与は少し減りますが、働けることが喜びです。

受け入れ職場の萩原 直子師長

急ピッチでしたが、受け入れのための準備を職場全体で整えました。フリー業務ではなく、患者さんを受け持つ看護師としての仕事をしてもらうことが要だと思います。
上兼さんは、「小さな子どもがいても働けるんだ」という、ステキなモデルになれていると思います。

松本協立病院赤木 富美子総看護師長

時短制度は、ママナースの職場復帰の安心材料になっています。課題は夜勤可能者の確保ですが、看護師増員の運動とあわせて考えていきたいと思います。
子育てで母親への負担が増えている中、ママナースの会の役割は重要です。「社会と集団の中で子育てができること」が理想です。

2011年は一斉地方選挙の年です。ますます身近な政治の話、4コマ漫画でどうぞ!

4コマ漫画1,24コマ漫画3,4

私の医療

「追いかけたい背中」...尊敬する先輩医師を表現した研修医の言葉です。忙しそうな医師の姿は見えても、その医療内容を知る機会は多くありません。長野県民医連には「追いかけたい背中」の持ち主がたくさんいます。どういう医療にどんな思いでたずさわっているのでしょうか。最初の登場は、塩尻協立病院院長の西沢守人医師です。

その人らしい人生の最期を支える医療 塩尻協立病院内科医師 西沢 守人

塩尻協立病院内科医師 西沢 守人

西沢守人( にしざわ・もりと)医師のプロフィール:長野県上田市生まれ、東京医科歯科大学卒業。1月で民医連歴25年。家族は4人家族+8歳の犬。趣味は音楽鑑賞。好きなアーチストはC・クライバー、パフューム、うるがバンドなど。

私は以前、松本協立病院の循環器科に所属し、日々の診療に追われていました。急性期治療に疲労感が徐々に増し、幸い非常に有能な後継者が育ったため、循環器病棟からリハビリ科病棟に移りました。そこでリハビリの適応に乗らない多くの終末期の患者様を受け持ちました。

対照的な2つの死

私はそこで、まったく対照的な死に方をされたケースを経験しました。
ひとりは80歳男性、脳梗塞後遺症(寝たきり全介助)で在宅療養中のところ尿路感染で入院しました。入院後抗生物質の投与で改善しましたが、すぐに誤嚥性肺炎を起こし抗生剤を再開しました。STの評価により経口摂取は困難と判定されたので、ご家族の希望により経管栄養を開始しました。その後も肺炎を再発し経管栄養中止、点滴、抗生剤投与、そしてまた改善し経管栄養再開、しばらくして肺炎再発と、こんなことを繰り返すうちに元々あった褥瘡がどんどん悪くなりました。
この時点でご家族に「点滴を減らして看取る方法もある」とお話ししましたが、治療継続を希望されました。しかしまったく改善することなく、その後呼吸状態が悪化し死亡されました。最期は全身がむくみ、体のあちこちに褥瘡ができているという非常に悲惨なものでした。
もうひとりは88歳女性、嘔吐を繰り返し入院となりました。検査で急性胃腸炎と診断し点滴を行ったところ改善し食事を開始しました。しかし再び食欲不振となり、点滴を再開しましたが、しばしば自己抜去してしまいました。胃カメラや腹エコーは異常なく老衰による摂食低下のように思われました。 この時点でご家族と面談し、在宅でみるのは困難というご家族の申し出を了承し、病院であえて点滴はしないで静かにみていく方針をとること、しかし決して見捨てるわけではなく、人生の最期の時間をできるだけ安らかに過ごせるように工夫することなどを確認しました。
この方はお元気な時に松本手まりをよく作っておられたそうで、病室にも手まりをたくさんご家族に持ってきていただきました。その後は何とか食事を少量摂取でき意識もしっかりされていましたが、ある日の昼からチアノーゼが出現し酸素を始めました。それでも夕食はプリン3口摂取し、その後徐々に呼吸数が少なくなり夜遅く永眠されました。非常に穏やかな死に顔をされていたのが印象的でした。

揺れるご家族の気持ちに寄り添って
病棟にて
病棟にて

私は可能であるならば、後者の方のような死に方を病院でもしてもらいたいと思いながら入院患者様をみてきました。塩尻に移ってからも、その人らしい穏やかな終末期を過ごせるように努めてきました。
そのなかで非常に印象に残っている方がいます。経管栄養はしないことに決めたものの、心理的動揺を繰り返すキーパーソンの娘さんと何度も面談し、患者様らしい最期はどんなものなのかを模索しました。
その結果、療養棟で食事が可能な間は食事をし、経口摂取が不能となったら末梢点滴、血管確保が困難となったら持続皮下注射で看取ることにしました。そしてのどかな田舎の風景がよくみえる病室で静かに亡くなられました。
2か月後に病棟の看護師、介護士と共に遺族訪問をしました。娘さんは外泊時の不安や治療方針に対する心の揺れなど辛い事もあったが、それを病棟スタッフがよく聴いてくれたことを感謝していました。遺族訪問の後、何故か心が洗われるような感じがしました。

その人らしい終末期を支える医療を
友の会の医療懇談会にて
友の会の医療懇談会にて

現在、胃瘻による延命治療を行っている人が、40万人もいるともいわれます。私は、それを希望するかしないかを元気なうちから表明する「事前指示書」の普及が必要だと思い、健康まつりなどで幾度か講演しました。
人は誰でもいつかは人生の終末期を迎えます。私はこれからもその人らしい終末期が送れるように支えていく医療をしていきたいと思います。
私は民医連に働いて25年になります。民医連で働き続けているのは、民医連がなによりも患者さんの立場に立ち、それを阻むものには堂々とたたかっていく運動体であり、地道に活動をしている仲間がいるからです。阪神・淡路大震災で東神戸病院に支援に行った時に、たとえようのない連帯感と民医連の組織力の凄さを感じましたが、その熱い想いが私の原点になっているような気もします。



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