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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第268号 2013.01.01

患者さんを支える仲間とともに 迷いながらも福島にとどまり

「自ら心に留めなければいけない。そして知ってほしい」ー12年11月10~17日、全日本民医連が行っている福島民医連わたり病院支援に参加した、松本協立病院の佐野達夫副院長(外科)に聞きました。

病棟カンファレンス中の佐野医師

佐野医師

落ち葉を「除染」

みんなに一番伝えたいのは、福島では原発の問題は終わっていないということです。
それを感じたのは、道に散った落ち葉を片づけている年配の女性患者さんに「松本でも落ち葉を片付けますが、ここでもやっているんですね」と声をかけたら、「除染ですよ」と言われた時です。
僕の中では落ち葉と除染はつながらなかった。焼き芋や肥料にする落ち葉が、福島では除染の対象になる現実を突き付けられました。チェルノブイリと同じことが、原発事故のあった周りでは起きているという現実は、やっぱり直視しないといけない。
だから原発はさっさと止めるしかないです。これ以上住めない場所をつくってどうするんだって強く思います。

すぐ隣に放射線の脅威

住民は一見普通に生活しているようでいて、気持ちの根底には不安があります。
キウイが採れたので、わたり病院に持ってきて測定した職員が、「放射線量が高くて、本当に土地が汚れてしまったんだなぁと実感した」と話していました。
松本あたりにいると原発事故はもう終わったように錯覚しますが、放射線の問題は継続しているし、改善が目に見えない。放射線被害は評価もむずかしいし、目に見えないからこそ引き続きの問題になっているのかなと思います。
診察室でも原発事故の影響を感じました。患者さんの住所を見ると、飯舘村や双葉町の方が結構いました。立ち入り禁止になっている福島第一原発近くから避難している方もいました。病棟では、環境が変わったことで調子が悪くなった人もいました。
若い人たちは、ここで子育てをするのか、迷い葛藤しています。
中学生の女の子を持つ外来の看護師さんが「娘の結婚のときに差別が起きるのが心配です」と言いました。30代の介護士さんの住所が山形県米沢市なので、てっきり出張で来ているのかと思ったら、妻子は米沢に避難し、自分は単身福島に残って、週末に家族のもとに帰るという生活でした。特に若い職員でそういう生活をしている人は少なくありません。

研修医は大いなる希望

佐野医師(前列中央)とわたり病院スタッフのみなさん。後列左から2番目が大澤秋恵さん
佐野医師(前列中央)とわたり病院スタッフのみなさん。後列左から2番目が大澤秋恵さん

わたり病院は地域の2次医療を担っています。バリバリやっていた内科医師が、原発問題で他県に移動したことで、医師体制が厳しくなったそうです。
医局は60歳過ぎの先生方が半数以上で、病棟の患者を受け持ち、診療上の重要な任務を担っています。一番若い医師で7年目くらいです。
現状の医師体制では病院の機能を維持できないので、病棟の再編をして、そこに研修医を迎えようと論議しています。これが今のわたり病院の状況です。
外来師長さんは「どこも青息吐息でやっているので、ここが病床を減らすと他の病院にお願いする形になるので心苦しい」と話していました。
研修医のマッチングは、「福島県は昨年5割を切り、今年も5割くらい」という新聞記事が医局に貼ってありました。
わたり病院では13年に、マッチングで1人、それ以外で希望している1人を含めて3人の研修医が来る予定です。全員迎えられたらこれは大きな希望です。

放射線障害への知識を持とう

私たちは、医療的支援もですが、いわゆる放射線障害に対する医学的な正しい知識を持つことが大事だと思います。
 長い目で見たときにどういうことが問題になってくるのか、内部被曝やそれを避けるためにはどうするかということを、同じ医療従事者として考えるべきだと思いながら帰ってきました。
(聞き手:坂口亮祐編集委員)

患者さんを支える仲間とともに 迷いながらも福島にとどまり

長野県民医連会長 熊谷 嘉隆

わたり病院薬剤師の大澤秋恵さんには3人の息子さんがいます。「子どもを守るためには出ていくしかないと去っていく、同僚や友人を見送る時の心境は、言葉では表せないほど複雑でした」「夏に1週間の休みをとり、被災者支援事業に応募して福島を離れることで、放射能のことを考えなくてすみ、震災後初めて肩の力を抜くことができました」と言います。福島での10・30集会(11年)には、「おれたちは、もう外であそびたいんだ!」という息子さんの言葉をプラカードにして一緒に参加しました(写真上)。『忘れない!明日へ共に-東日本大震災・原発事故と保育』(ひとなる書房)には、大澤さんの家族や保育者の思いが綴られています。

「社会保障と税の一体改革」のトンデモナイ中身

長野県連の無料低額診療事業(以下無低診)は、09年9月に諏訪共立病院で始まりました。現在では県連内すべての病院で事業が行われ、12年10月末までに161人が申請しました。
「収入がない」「生活するのがやっと」「保険証がない」などの理由で受診を控える『患者になれない病人』をつくらないための事業が無低診です。中信民医連の経験を報告します。

"患者になってもらう"を第一に

県連内の開始状況

中信民医連は、10年から本格的に無低診事業開始の準備を始めました。松本協立病院・塩尻協立病院合同で関係者会議を何度も開き、11年の7月に開始しました。
関係者会議では、
① 行政の肩代わりをするのではなく、社会保障制度の拡充につなげていく
② めざすは「生活再建」とする
という2点にこだわって議論してきました。
無低診は3か月という期限を設けています。規定では延長する余地を残していますが、「安易な期間延長をせず、一旦は3か月で区切る」という基本スタイルを関係者会議で確認しあいました。
3か月以降は未収金になってしまうかもしれませんが、当然、医療は続けます。それはこの事業のそもそもが「医療を受けることをあきらめていた人が患者になれる制度」であるからです。
そして、利用者自身の意識の変化を期待して関わり続けた結果、治療を続けながら働きはじめるという事例も出てきています。

パンフレットは障害者支援窓口にも無料定額診療申請者数のまとめ(2012年10月末まで)
パンフレットは障害者支援窓口にも

無低診パンフレットをハローワークの窓口に

松本協立病院は、この3年半の間、ハローワーク前で健康相談活動を行ってきました。
12年11月1日にはハローワークの所長、部長と懇談をし、雇用状況の情報収集と、この間の健康相談活動のまとめの報告をしました。
「健康相談活動をハローワーク建物内で行いたい」という引き続きの申し入れは、スペースがないという問題で許可されませんでしたが、無低診を知らせると、「ぜひ、くわしく知りたい」という反応でした。
後日改めて部長を訪問し、パンフレットを大量に届けた際には、相談員の指導官も同席し、制度の説明を聞いてくれました。その結果、各相談窓口にパンフレットを置き、さらにハローワーク職員に制度の概要を説明してもらえることになりました。

*     *

職員へ事業の意義を伝え続ける努力、制度改善のための自治体への働きかけなど、まだまだ取り組みが不十分です。この事業があれば防げたかもしれない痛恨の事例を忘れずに、常に「そもそも」に立ち返りながら、さらに事業を発展させていきたいです。
(松本協立病院 事務次長 中村 靖)

無低診を薬局にも 適用させよう! 巾上ひまわり薬局・事務 浦沢 剛

塩尻ひまわり薬局
塩尻ひまわり薬局

巾上ひまわり薬局、塩尻ひまわり薬局では、「気になる患者活動」を日常的に取り組み、利用できる制度につなげる努力をしています。
支払いが困難な患者さんには、「後発品への変更や、同様の薬効がある別の薬にすることでどれくらい自己負担が下がるか」など、具体的に話しています。また、薬の内容から公費取得の可能性のある患者さんについては、処方箋発行病院に情報提供して、実際に公費取得に結びついた事例も少なくありません。
しかし、こういった医薬連携をしても対応できない患者さんはどうしても出てきてしまいます。
病院では無低診利用によって処方せん料などはかかりませんが、無低診の適用がない薬局では、数万円の自己負担となってしまうことがあります。病院で処方せんを受け取っても、高すぎる薬代が払えないために、処方せんを薬局に持ってこれない患者さんも実際にいました。
無低診が薬局でも使えるようにする、そのための運動を進める必要を感じます。

無低診事業を利用して再び社会へ踏み出した患者さん 松本協立病院・MSW 赤坂 律子

塩尻協立病院外来受付
塩尻協立病院外来受付

無低診は、原則として3か月という期間になっています。期間内には問題の回復が望めないという場合もないわけではありませんが、期間があって目標になったという患者さんも複数いました。
高額な薬剤治療が必要で、3割負担でも10万円近い自己負担が必要な40代の患者さんは、十数年働いていた会社を体調不良で退職、その後も病名が特定されないまま3年ほど仕事ができず家で過ごしていました。貯蓄もなくなり精神的にも落ち込んで引きこもり状態になっていましたが、当院で病名が分かり手術を受けました。
世帯の変更、加入保険の変更、限度額適応認定の申請など行った上で無低診を申請し認定されました。並行して薬剤治療を続けながら就職活動を始め、派遣会社の雇用で就職先が決まって3年ぶりに社会復帰しました。
治療ができたことが、ご本人の気持ちを前向きにした大きなきっかけでしたが、さらに患者さんの背を押したのは「無低診の期間が決まっていたから働く事への不安はあったけれど足が前に出た」のだそうです。
「無低診がなかったら治療はできなかった。けれど、無低診の期限が決まっていなかったら甘えてしまって再就職への気持ちになれなかったかも」と言います。「ただ、6か月くらいの期間があるといいなあとは思います」。3か月の期間に仕事を決めなければという思いは、結構焦ってきつかったとのことです。
患者さん一人ひとり、抱えている問題は違うので一概には言えませんが、無低診制度は、本来行政が保障すべき社会保障制度の単なる肩代わりにならず、使える社会保障制度をしっかり利用できるまでの橋渡しであること、また不足している社会保障制度への気づきや運動につながること、そして何より患者さん本人が自分の問題に向き合い、一緒に足が前に出るような支援ができることが必要だと感じています。

民医連が架け橋になくそう!「子どもの貧困」

長野県内の小中学校で働く事務職員が「子どもの貧困」をテーマに学習会を開催し(12年11月)、健和会病院小児科の和田浩医師が、お金が払えないことを気にして喘息発作時しか来院しない親子の事例を紹介しました。
県内でも医療と教育分野の連携が始まりつつあります。「今子どもたちに何が起きているのか。そして民医連に何ができるか」。医療や学校、地域で子どもの貧困に関わるみなさんの報告から考えてみたいと思います。

「経済的に大変じゃない?」という視点を加えると
その家庭の困難さが見えてきます

健和会病院・小児科医師 和田 浩
健和会病院・小児科医師 和田 浩

8月の日本外来小児科学会で「子どもの貧困を考える」シンポジウムのコーディネーターを務め「小児科では貧困は見えにくいと言われるが、実はチラッと見えている。スタッフの感じる『ちょっと気になる』を共有する工夫をすることでもっと見えてくるのではないか」と感じました。
それから数か月の間に本当によく見えるようになってきました。先日は一日で3例の事例に出会いました。
①母子とも喘息で入院が必要。しかし「経済的に大変で入院したくない」。借金があって、父親は正規の仕事のほかにアルバイトを2つ。「私も明日はパートに行きたい」というけれど、とてもそんな状態ではありません。説得して入院してもらいましたが、入院費はかなり負担になるようでした。
②年長さんと2歳の女の子2人。母親は子どものころ実母から虐待を受け、今は絶縁状態。父親は前妻に養育費を送るため家の収入はわずか。姉が注意欠陥多動性障害で他のお母さんから「しつけができていない」と言われ「イライラしてこどもをたたいちゃうことがあるんです」
③母子家庭。母親は介護職。家庭内暴力から逃げてきた後、資格を取り働き始めたところ。「子どもが喘息なのでインフルエンザワクチンを打ちたいけれど、2回で6000円以上はかなりきつい」
私がしたのは、小児科の看護師・事務・病児保育の保育士などと「気になる患者さん」のカンファレンスを週2回くらい行うこと。その中で「もしかして経済的に大変じゃない?」という視点を加えることで、その家庭の抱える困難がより深く見えるようになったと感じます。みんなのアンテナが磨かれて感度がよくなってきたという感じです。
それと同時に、困難を抱えて、時に子どもをたたいてしまうような母親でも、実はとてもつらい思いを抱えながらがんばっているという姿もよく見えるようになった気がします。地域の学校、保育園、児童相談所などとこうした情報交換やカンファレンスができるとさらに見えるようになると思います。

歯科医療の現場から

松本協立病院歯科センター・歯科医師 具足 繁樹
6歳臼歯と12歳臼歯

患者A君は12歳です。右の写真の様に右下の6歳臼歯と12歳臼歯が骨の中に埋伏して出てこられなくなっています。
埋伏した歯を本来の位置に戻す方法は2つあります。歯列矯正(歯にボタンをつけてワイヤーとゴムを使って動かす治療)と歯の再植です。
歯の再植は歯を傷つけずに抜歯する必要があり、抜歯窩の状態も考慮する必要があります。歯周組織の状態も不安定となり、なにより歯の神経をとる必要性がでてきます。A君の場合、将来的なことを考えれば歯列矯正で治したいと思います。

歯列矯正

しかし、問題があります。歯列矯正は健康保険が使えません(唇顎口蓋裂、ダウン症候群などごく一部の疾病では保険適用になります)。そのため治療費が20万円以上かかります。A君の父親は失業中で生活保護を受けています。高額な治療費を払えません。結局、予後に不安が残る歯の再植を行うことになりました。(左写真)
イギリスやスウェーデンでは、子供の歯列矯正は無料です。悪い歯並びは病気であると考えているからです。日本でも子供の歯列矯正がせめて保険適用されれば、沢山のすばらしい笑顔がみられることになるのですが......。「保険で良い歯科治療を」の運動を続けていこうと思います。

学校から見える子どもの貧困

長野市立中学校 荒井 正則
イラスト

「ねぇ先生、貧乏なのはうちだけですか」と呟いたのは、学校納入金を遅れて届けてくれた母親の言葉です。別の母親は、分割で入金されることを涙ながらに話して行かれました。自らを「貧乏」という言葉で表現しなければならない現実、分割してでも納めなければならない納入金のある学校・社会とはなんなのでしょうか。
 子どもたちは、指定の制服・指定のかばんを背負って登校してきます。しかし、校門をくぐる前にある、外見からはわかりづらい子どもたちひとりひとりの生活に心を寄せなければと思います。
 A校は、全校生徒約800人のうち、ひとり親家庭は7人にひとりの14.4%(母子家庭は13%)、就学援助受給率は全国平均以上の18%、生活保護・準要保護認定者のうち、ひとり親家庭は約79%です。ひとり親家庭の約75%は生活保護か準要保護に該当し、うち母子家庭は約80%が該当しています。
 この子たちは、図書館の本の貸し出し数や、虫歯の治癒率でも他の生徒より困難な中におかれています。厚労省公表の日本の相対的貧困率が16%、子どもの貧困率は6人にひとりの15.7%にもなっています。
 数字から見る限り、A校の実態は、この国の「縮図」のようにさえみえます。倒産とリストラ、非正規雇用の増大、相次ぐ社会保障の切り下げなどによる生活苦と経済格差の拡大等が影響しているものと思われます。このことが、子どもたちの学びを疎外し、未来を閉ざしてはなりません。
 憲法の謳う幸福追求権や、生存権・義務教育無償をたぐりよせ、みんなの知恵を寄せ合って、「子どもたちが、お金のことを心配しないで学校にこれる」ようにしなければと強く思います。

「きずな塾」で学習支援活動

長野医療生協・企画教育部 宮崎 ようこ
きずな塾

「居所不明児童」という言葉をご存知ですか。保護者の雇用・生活が安定せず、行方がわからなくなる子どもたちが社会問題になっています。反貧困ネット長野でも、相談会に来た親子が行方不明になってしまった例がありました。身近なところに、「子どもの貧困」が存在しています。
反貧困ネット長野は子どもの貧困問題に向き合おうと、12年8月から「きずな塾」という無料の学習支援活動を始めました。長野中央介護センターつるがで毎月2回、金曜の夜に開き、徐々に参加者が増えています。これまでの参加者は約20人、サポーターも30人を超えました。
サポーターはご近所の方、信州大学などの学生、法律事務所の方、職員など多彩です。長野県教職員組合が取り組む「教育相談室」とも連携しています。
長野中央病院小児科で知って参加した中学生の兄弟のお母さんは、「(チラシを見て)神様が降りて来たかと思った」と話します。学習塾は遠く、高額なので通わせられないと思っていたそうです。またある子は、「ここだけが自分の話を聞いてくれる」とつぶやきました。
今後は保護世帯の子にも紹介してもらえるように長野市厚生課にも働きかける予定です。

『原発ゼロ』のその日まで あきらめない、行動する、そしてつながる

2年12月、原子力規制委員会は敦賀原発直下に活断層があることを認めました。国は、廃炉になるとの見通しを示しました。その背景には決してやまない「脱原発の声」があります。昨年の「11・11さようなら原発1000万人アクション」には、悪天候をついてたくさんの職員が参加しました。この声を大きく!

福島の北野浩二先生からのメッセージ
「長野県民医連」11月号を読ませていただきました。いわき市をふくむ福島の浜通り地区の復興は遅々として進まず、マスコミの関心も薄くなっているのではないかと感じていました。そんな中で南信勤医協のみなさんがいわき市を訪ねてくれたことを知り非常に心強く、うれしく思いました。
仮設住宅に往診をしていますが、不安と疲労で神経症やうつ病となった方も少なくありません。みなさんが被災地のことを忘れず、現地まで足を運んでくれたことを患者さん達にも知らせたいと、新聞を待合室に掲示しました。「忘れ去られることに対する漠たる不安」にとって何よりも効果のある「薬」です。ありがとうございました。(福島医療生協ふれあいクリニックさくらみず所長)

東京会場 宮坂昌宏さん(諏訪共立病院)

「原発ハンタイ!」「もうだまされないぞ!!」
11月11日冬の雨が降る国会議事堂前、思い思いの服装に身を包んだ人びとが大きな声を挙げています。今までの行動と違うのは、大きな幟や看板はなく、一人ひとりが小さな看板を持ち、自分達の声で叫んで、「自分の意志で発信する力」の集団を感じたことです。
「さよなら原発1000万人集会」の国会議事堂前・首相官邸包囲に行きました。昼からの集会とデモ行進は中止となり(日比谷公園・デモ行進を東京都が認めず)、改めて東京都は原発反対の行動を快く思っていないのでは、と感じました。
しかし、時間が経つにつれて、若者から中高年層まで徐々に人が増え、地下鉄の出口から人が溢れてきました。警察が誘導を行い、集団を分断させていました。
参加して良かったのは、全国までまきこんだ行動になっていること。一回で終わらず、継続的につながりを持ちはじめたことです。ぜひ参加してもらいたいと思います。

考えなければならないのは、福島からは離れてはいけないということです。
たとえば、福島の原発で廃炉作業をしている労働者は、原発反対の行動・集会を「冷めた目で見ている」と聞きました。その理由は、原発がなくなると働く場所がなくなるという現状にさせられてしまっているからです。
貧困の現状、現地の地方自治体の状態、働いている労働者の想い・実態をつかみ、一緒に考えながら、今後も「さよなら原発」の行動に参加していきたいと思います。

上田会場 片山 恵さん(上田生協診療所)
脱原発上田集会

11月10日に脱原発上田集会がありました。署名とマイクでの脱原発の訴えを行いましたが、警察が「集会の許可を出していない」と確認に来るという緊迫した場面もありました。
「子どもと一緒に参加しました。福島の子は好きな花も放射能で汚染されて摘むこともできないそうです。そんな悲しい状況はいや。安心して子育てしたい」(30代女性)、「安全神話を信じていたが、事故が起こって自分が何もわかっていないことに気づいた。原発はもういらない」(70代男性)、「初めて参加しました。子どもが安心して生活できる国を残したい。友人が福島にいて、葛藤の中生きています。望むのは安心して生きられる社会です」(30代女性)。会場での会話です。

松本会場 高山さつきさん(松本協立病院)
脱原発デモ

3.11以降、じっとしていられない、行動を起こしたいという気持ちを抱いていました。東北支援にも希望を出しましたが叶わず、前回の松本での行進も勤務で参加できず、今回は願い叶っての参加となりました。
最近は脱原発デモが一般マスコミでも多く報道されるようになり、時代が変わってきていると感じます。もともと社保・平和関係の行動にはよく参加していたのですが、今回の大行進は顔見知りでない人がとても多く、悪天候の中でしたが行進する多くの家族連れの姿は、世の中を変えられると強く感じさせる光景でした。
しかし、それは尊い命と悲しみの上に築かれたものであることも決して忘れてはいけないと思いました。これからも行動を続けていきたいです。

長野会場 出河 進さん 茜さん・和穂ちゃん(長野中央病院)
反原発集会反原発集会

反原発集会には何回か参加してきました。きっかけは、6月8日に野田前首相が大飯原発再稼働を認めたことです。野田前首相は、「国民生活を守るため......」といいましたが、原発の危険性が明らかになり、今なお事故の収束もできない、こんなにも被災者が犠牲になったままの状態でこの言葉は納得できませんでした。
新潟の柏崎刈羽原発が事故を起こしたらここも生活できなくなります。子どもの未来のために「今すぐ原発はやめろ」という想いです。

飯田会場 岡田敏子さん(健和会病院)
脱原発デモ

3.11行動にも参加しました。
放射能を浴びてしまったがために、公園や砂場で遊べない。落ち葉で焼き芋もできない。
つい先日まであたりまえの日々の中でやっていたことができない。
こんな世の中があっていいのか。異次元の世界ではなく、今のこと。
住みにくい環境・恐怖と戦う毎日があってはいけないと思う。
子を持つ親として、子どもたちの明るい未来のためにも微力ながらも訴え続ける力となればと思って参加しました。
11月に飯田市鼎上山に太陽光の岡田発電所を開設しました。「脱・原発」のために、ほんの一部の屋根からもお力になれればと願っています。

初期研修医頑張る

長野中央病院は、基幹型臨床研修病院として、毎年初期研修医を受け入れてきました。12年度も1年目研修医4人、2年目研修医4人と、許可された定数をフルマッチしながら医師養成をすすめています。さらに来年度は長野4人に加え、新たに松本協立病院で2人が研修を開始する見込みとなりました。
医師という仕事と真摯に向き合い奮闘する初期研修医の様子を紹介します。

初期研修医

医師としての技術と心構えを学ぶ長野中央病院の初期研修

長野中央病院での初期研修は、次の3つを目的に取り組まれています。
① 医師としての人格を涵養し、日常診療で頻繁に遭遇する病気や病態に対応するため臨床研修医に求められるプライマリケアの知識・技能・態度を身につける。
② チーム医療のパートナーとしてのコメディカルと民主的な協力・共同ができ、安全で質の高い医療を提供できる能力を養う。
③ プライマリケアから高度専門医療まで一貫した診療、ならびに他医療機関と連携した医療を提供する中で、医師の果たすべき社会的役割について学ぶ。

はじめの約1か月はオリエンテーションです。他職種・他職場研修や患者体験をとおして、医師としての心構え、患者の立場に立つ医療のあり方を学びます。
5~7月の導入期研修終了後には主治医機能を学び、その後各科のローテーション研修を行います。救急医療の研修は、救急部門での研修期間だけでなく、日常診療での救急対応と順次行われる時間外診療研修で補います。
研修指導には、シニアレジデント(臨床研修を終えた3~5年目の後期研修医)と指導医(病棟医長クラス)の両者が、重層的にあたる「屋根瓦方式」を基本としています。
研修医の週間スケジュールは別表のとおり、朝から夜まで勉強続きです。4人の研修医で受け持ち患者を138人(12年10月現在)もちました。この合間に同期会やら各種サークルなどから声がかかり、深夜まで親睦を深めています。

長野中央病院の初期研修
プレゼンターの小平医師
プレゼンターの小平医師
循環器内科研修の週間スケジュール

自主的に学び合う"土曜カンファ"

司会の新井医師
司会の新井医師
土曜カンファ
土曜カンファ

研修医は、本来土曜日は休みですが、自主的に行っている朝の「土曜日カンファ」にオジャマしました。
今回の参加者は1年目研修医4人、2年目1人、シニアレジデント2人、番場誉研修委員長。プレゼンターは1年目の小平睦月医師、司会は新井成明医師です。
モニターに浮かぶ患者情報。「80歳男性、主訴は腰痛。2か月前に発熱・下痢で受診、胃腸炎の診断で内服治療、下痢は改善したものの発熱は持続。2週間前から右腰痛が出現、徐々に痛みが両側へと広がり、当院受診。さて、腰痛のレッドフラッグサインは何ですか? 追加の問診、なんでもどうぞ!」と小平医師。
「血圧の変化は」「熱の経過は」「神経の痛みは」「痛みの経過は」「血便・尿は」と次々に出される質問、それに答える小平医師。
さらに追加される質問。「体動痛は」「針をよく刺していたとかは」・・・。「最近、歯を抜いたとか」「3か月前に歯がぐらぐらして歯科を受診したけれど、ワーファリンを飲んでいたので抜歯を断られ、自分でぬいた事件がありました」「えー??」・・・・。
「ではどんな検査が必要でしょうか」、「腰椎レントゲン」「CT」「MRI」「血沈」・・・。そして電子カルテから映し出される各種検査結果。
いよいよ診断へのアプローチが進み、論議は白熱。最後は、各科のオーベンに相談した結果と「Dukeの診断基準」などを参照して早朝カンファレンスの活発な30分が終了しました。

*     *

現在、増改築が行われている長野中央病院では、新たに総合診療を中心にした4西病棟を立ち上げ、研修医の受け入れを行っていく準備をしています。
この総合診療病棟は各科の専門医とコメディカルが関わりをもち、早期診断・治療ができるとともに、より充実した研修が行えることをめざしています。

医療者への歩みを育む「長野県医系学生のつどい」

86年以来、信州大学の医学生を中心に「秋のつどい」として毎年開催されてきました。90年代後半からは医療系の学生が中心となって実行委員会を立ち上げ、交流を行いながら今日に至ります。
12年は11月10~11日の日程で、11年の長野県北部地震で被害を受けた栄村を訪ね、震災当時の様子や震災後の住民の生活、復興に向けた取り組みなどを学習しました。被災した方と触れ合い、復興への歩みを感じ取りながら、医療者として何が必要かを深めました。


〈感想文から〉
■組合員さんの話が聞けたことに、このつどいの一番の意義を感じた。同時に、組合員さんの話は衝撃的でショックを受けた。
(医学科1年)
■栄村の様子を聞いて、現状は少しずつでも確実に良くなっていると感じた。狭い地域だからこそなのか、村の方々のつながりが強い気がしていいなと思った。
(医学科6年)
■震災の傷跡は、目に見えるところだけではなく心の中にも残っているということを改めて思い知らされた。(医学科1年)

  • 1日目
  • 栄村診療所見学
  • 診療所所長の講演
  • 震災当時のお話
  • 医療生協組合員さんの講演
  • スモールグループディスカッション
  • ナイトセッション
    (小平睦月医師、竹村麻紀看護師の研修振り返り)
  • 2日目
  • 復興支援のお話
  • 仮設住宅集会所でお茶会&健康チェック

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