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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第271号 2013.04.28

ようこそ長野県民医連へ 新入職員歓迎号

新入職員のみなさんへ
集え!青年職員
聞かせて!新入職員のみなさん

見開き1,4ページはPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。(1.8MB)

長野県民医連機関誌271号1-4面 見開き1,4ページはPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。(1.8MB)

「束原先生、辺野古の海を守るために頑張ります」 4/11〜4/13第29次辺野古支援・連帯行動

「平和であってこその医療」という信念で辺野古支援・連帯行動に参加した束原進全日本民医連副会長・長野中央病院院長(当時)が、海難事故で亡くなったのは5年前の4月12日。参加者は「先生の遺志を引き継ごう。辺野古の闘いをつなごう」と決意を新たにしました。改めて辺野古の背景をまとめました。

船上から束原先生に献花
船上から束原先生に献花

基地返還はすべて条件付き

沖縄には広大な米軍基地があり続けます。米軍や米兵による凶悪な事件・事故は日米地位協定のもとで罪に問われることなく、人々は泣き寝入りをせざるをえませんでした。
「基地はいらない」という県民の声を無視できなくなったアメリカが出した砲弾訓練地返還の条件は北海道、富士山麓など本土5か所に拡大や、県内のたらいまわしというような、「移設条件付き返還」でした。
普天間基地の移設先として、日本政府が提案したのが辺野古。すでにキャンプ場、弾薬庫などがあり、今まで住民を気にして深夜に国道を輸送した軍事資材を海から直接運べ、陸海空軍が一か所で訓練し戦地に飛べる、米軍には願ってもない場所です。

県連から参加した矢田・古松・小山・湯浅のみなさん(左から)
県連から参加した矢田・古松・小山・湯浅のみなさん(左から)。束原先生への気持ちを込めた健和会のタペストリーは座り込みのテントに張り出されることになった
長野医療生協の山口光昭理事長も慰霊に参加(左端)
長野医療生協の山口光昭理事長も慰霊に参加(左端)

事件は起きるべくして起きる

多くの絶滅危惧種が棲むやんばるの森のある高江には、住民の反対を押し切りヘリパットが建設されました。オスプレイの導入に伴うものです。低空飛行訓練は嘉手納基地を出発し、全国各地の空で行われています。
辺野古でも高江でも米軍が行うのは、効率よく人を殺す訓練です。その後戦場に向かい、戻った兵士が基地の町に住むのです。事件が起きても不思議ではありません。

沖縄は揺るがない

「辺野古漁協が辺野古移設を承認」と大きく報道されましたが、実はその翌日、漁協の代表は再選されず、移設賛成の区長は立候補できませんでした。沖縄は揺らぎません。基地をなくす不屈の闘いを続ける沖縄の人々と手をつなぐこと。そこから平和を守る行動が始まります。(湯浅 ちなみ)

参加者の声

健和会病院・小山淳子

米軍基地が普天間から辺野古に移る問題は、沖縄が抱える問題ではなく、日本が抱える問題だと改めて感じました。綺麗な海を・束原先生の眠る海を守るために皆が学び、伝えていく。それが大切だと思いました。戦争があるから、軍が・基地が必要なんです。戦争がなくなれば必要なくなるから、戦争がない世界になってほしい。そう強く思いました。

諏訪共立病院・矢田智加子/古松奈々子

あんなに綺麗な辺野古の海を、森を、住民の生活を奪ってまで基地の建設が必要でしょうか。建設費も米軍の生活も娯楽施設も税金だと知り、「何が思いやり予算だ」と疑問を持ちました。
飛び交う戦闘機に初めて戦争を身近に感じ、命懸けで生活を守る沖縄の方々の姿に共感。「基地はいらない」という意識を全国に広めていきたいです。

長野医療生協 「9条を守る会」復活!

親里さんの体験に聞き入る参加者
親里さんの体験に聞き入る参加者

3月27日、約90人の参加で改めて「憲法9条を守る会」を設立しました。会長の番場誉中央病院副院長は「この会の会長には自ら立候補するつもりでいた。子どもたちの世代を戦争に送るような憲法改正を絶対に許してはならない」と挨拶。

9条の会をアピールするポスターも好評!
9条の会をアピールするポスターも好評!

学習講演は、沖縄出身で沖縄戦の語り部として活躍されている親里千津子さんによる「私の戦争体験『沖縄戦を体験して』」。13歳で苛烈な地上戦を体験し、米軍の艦砲射撃により目の前で肉親を失ったつらい体験を語り、「戦争だけは二度としてはならない」と訴えました。
総会では、署名活動を粘り強く続けている地域9条の会や「職場9条の会」の取り組みを報告。若い職員からは「私たちが声をあげて憲法を守らなくては」との決意表明がありました。
最後に「7月の参院選挙で憲法を守る私たちの意志を明確に示そう」と総会アピールが採択されました。
(守る会事務局長・原 健)

NO WAR! 平和憲法守る私の声①

番場 誉(長野中央病院・副院長)

この3月から長野医療生協で憲法9条を守る会の会長になりました。これまでもあった会なのですが開店休業状態だったため、今回は本気になって「憲法を守る風を吹かせたい」という気持ちです。
第一弾として全国組織である9条の会のポスターをサンプルに、当生協の主なメンバーの顔写真9人分を配置したオリジナルポスターを作ったり、総会で沖縄戦を生き残った方の話を聞いたり、新入職員教育で時間をもらって熱く語ったり。会長をおおせつかってから、久々に平和運動に足をつっこんだ学生時代に戻った気分です。
いろんなひとの話を聞いてみて、憲法9条に対する思いは世代毎に違うのだと強く感じています。お年寄りにはあの太平洋戦争の悲劇の記憶が、我々中年には憲法によって守られながら国のそとで今も続く武力紛争を見聞きした経験、若い人にはまた別の経験があるはずです。
憲法をどう守るのか、世代を越えた連帯が必要だとは思いつつも、何よりも同じ時代を生きた仲間、同世代の中にこそ生きた対話が生まれる可能性があると思います。私のまわりにいる、私と同じ世代の、だけれども私とは違う改憲容認気分の人に、私が何かすることで憲法を守る。
9条の会は世代毎に「昭和○○年生まれ近辺の世代の会」「平成生まれの会」とか、そういうふうにするといいのかな?と思うのですが。あ、年齢がばれるからみんな嫌がるかも......。ちなみに私は、NHK少年ドラマシリーズに熱中した世代です。

東南西北

諏 訪

こころの郷入居開始

こころの郷入居開始

諏訪市に、こころの郷(小規模多機能型居宅介護施設)が3月にオープンしました。7月にサービス付き高齢者住宅、14年春に特養、グループホームも同敷地に開設予定。今後オープンする施設には2つの医療機関がテナントとして入る話がすすみ、これが実現すれば新しい地域医療・地域包括ケアの実践的発信になります。

中 信

平和活動交流集会開かれる

平和活動交流集会開かれる

第4回中信連絡会平和活動交流集会が4月6日駅前会館で開催され、約70人が参加。前半は中信健康友の会顧問の田中嘉典さんの実体験である「満蒙開拓と青少年義勇軍」についての講演。後半の活動報告では、健和会病院の青年職員からも青年東京平和ツアーについて報告があり、今後の活動に活かせる交流となりました。

飯 伊

Memento Kenwakai!! ペンライト作りました!

Memento Kenwakai!! ペンライト作りました!

健和会病院では「kenwakai」と刻印された医療用ペンライトを作成し、実習や学生企画等で医・看学生にプレゼントしています。
ロゴ入りグッズによるアピールを病院でもできないか? なるべく学生に喜ばれるものをと、医師や医学科奨学生と相談してペンライトに決めました。実習等で使用して当院を思い浮かべてほしいです。

東 信

「第9回ながのmini NEF in 上田」開催

「第9回ながのmini NEF in 上田」開催

3月27・28日、学生25人、職員17人の参加で開催。「東信医療生協について」職員と組合員の講演、若手看護師の講演、診療所やデイサービスの見学等行いました。デイなどの施設は初めての人が多く、地域に根差した医療や介護を体験し、組合員さんや利用者さんとの話から、地域医療に感銘を受けたという感想がありました。

上伊那

金曜日は「いな金」

金曜日は「いな金」

3月1日から「さよなら原発上伊那の会」は、伊那市中心街「いなっせ」前で毎週行動をしています。人数は多いとは言えませんが、参加者は「脱原発はぜったいに主流派だし、全国で一斉に声が聞かれていると思うと......もうやめられません」と元気に行動しています。

長 野

初の事務職オリエンテーションを開催

初の事務職オリエンテーションを開催

長野医療生協は新入事務職員11人を迎え、初の事務職員向けオリエンテーションを実施しました。「民医連事務職とは」「医療生協の接遇」「チーム医療」「憲法」などの講師は、先輩事務職員や看護師が担当。「病院内で、事務職はなくてはならない存在だとわかった」という感想に、こうした機会の大切さを実感しました。

東信医療生協 福島原発被害視察へ 東信医療生協理事長 西澤 弘行

小名浜生協病院の前で
小名浜生協病院の前で

被災の実態に迫ろうと計画

3月29・30日、役員・組合員・職員の23人でいわき市に福島原発被害視察に行き、福島浜通り医療生協の伊東達也理事長と組織部の工藤史雄さんに案内していただきました。
今回の視察のきっかけは12年10月に福島浜通り医療生協の伊東理事長を上田にお呼びしたこと。原発事故後の被害を「悲惨だ」「犠牲者がかわいそうだ」に終わらすことなく、現地を見て、現地で運動している方の話を聞いて実体に迫りたいと思ったからです。

被災当時のままの富岡駅
被災当時のままの富岡駅

上田市の30倍の放射能も

29日はいわき市から北へ約40㎞、富岡町に向かいました。市街地を過ぎると農地の除染が行われていました。表土をはぎ新しい土が入った田んぼの畦には、汚染物を入れた黒いビニール袋があちこちに置かれていました。富岡町に近づくにつれ、放射能測定器のパルス音も激しくなり、1〜2μSv/hr。上田市の30倍の数値でした。

始まっている訴訟

汚染土の入った大量の袋(仮置き場)
汚染土の入った大量の袋(仮置き場)

30日はいわき市小名浜を中心に津波被災地を見学し、小名浜港の人工島を見学しました。
また、13年の3・11に提出された「元の生活をかえせ・原発事故被害いわき訴訟」の説明を聞きました。この集団訴訟は国家補償を求める「政策形成訴訟」の特徴があります。避難区域外の低線量放射能被害者が原告です。国・東電の補償拒否や、補償金の値切りがあり、被災者間や避難先での行き違いなど、いわき市民の原発事故への対応はさまざまです。その中で、生活をどう取り戻すのかという活動をしていること知りました。
夏には他団体の皆さんとも協力して、福島の子どもたちを上田に呼ぶ事業に取り組みたいと思います。

JBにかける想い 〜第35回 全国JB in 白樺湖〜

マスコットキャラクター・"まつりんご"

テーマ・スローガン
まつりんご祭りするしない↑
おいでなんしょ信州へ
みつけにえべさ
とっておきの出会いだに〜☆

標準語訳
「まつりんご祭りしようよ」(北部)
「おいでくださいな信州へ」(南部)
「みつけに行こうよ」(中部・安曇野)
「とっておきの出会いだよ〜」(南部)

開催日時 2013年9月7日(土)〜9日(月)
日程 1日目:開会式・班交流
2日目:フィールドワーク・班交流・大交流会
3日目:班交流・閉会式
開催会場 長野県茅野市・白樺リゾート池の平ホテル
参加規模 全国800人 長野県連 約100人

全国JB現地実行委員会では2日目のフィールドワーク10コースを計画しています。松代大本営の見学や新しく建設された「満蒙開拓平和記念館」も候補コースです。TPPや「貧困」を学ぶコースも検討しています。目的地が長野市から阿智村まで県下各地になるので、コースごとに担当者を決めました。実際に現地へ行ったり、講師と打ち合わせしたりしながら「何を学ぶのか」「何を話してもらうか」「日程的に大丈夫か」など具体化しています。
4月26・27日には県連JB実行委員会との合同合宿が行われます。全国JB成功に向け、みなさんのご協力をお願いします。

長野県連の団結とパワーを支える 部会紹介7 県民運動まちづくり部

管轄する委員会
社保反核平和委員会、共同組織委員会、共同組織連絡会

県民運動まちづくり部の機能(役割)は①情勢が求める全国的運動課題を、全日本民医連の方針にそって、県連としての方針を立案し理事会に答申する②福祉医療窓口の無料化をはじめ県政課題について方針を提起する③県的団体との連携を図り、各分野の前進を図る④3つの委員会の掌握(社保・共同組織・共同組織連絡会)を確認しています。
さらに「職員・共同組織にいかに広げるか」「県的団体や地域での共闘を進める」視点をもち、各連絡会と連携し、安心して住み続けられるまちづくりの運動が全県で進むよう、機能を強化していきます。今期部会が受け皿となった団体は長野県社保協、福祉医療給付制度の改善を進める会、高齢期運動連絡会、飯貧困ネット信州、原発ゼロを目指す長野県連絡会などです。
県民運動まちづくり部会は12年5月に1年半ぶりの再開となりましたが、窓口無料化を求める運動や反貧困ネット、脱原発への関わりが強まり、全県的広がりに一定の役割を果たすことができました。日本の将来を大きく左右する動きの中で、かつてなく大事な7月の参議院選挙に向けて大中小の学習会を提起します。

(県民運動まちづくり部長・谷口亮一)

2分で読めるミニ学習

政府は4月28日を「主権回復の日」として式典を行います。沖縄は「屈辱の日」と反発しています。どういうことでしょうか?

今、72歳の私が小学校5年生の時(1951年)、サンフランシスコ講和条約が締結されました。当時、この講和条約をどう考えるのか友人と喧々諤々の討論をしたことを思い出します。
日本が資本主義陣営の国々とのみ講和条約を結び、社会主義国と相対する立場に立つことが、平和憲法との関わりにおいて正しいのかどうかが争点でした。日本は講和条約と同時に日米安保条約を結び、今日に至る日本の姿勢を決定したのです。
条約締結6か月後の52年4月28日、サンフランシスコ講和条約は発効し日本の主権が回復しました。しかし、条約の第3条には、沖縄・奄美群島・小笠原諸島を日本の行政権から切り離しアメリカの信託統治下に置くことが明記されていました。ですから、沖縄では4月28日を「屈辱の日」としているのです。
自民党は昨年の衆議院選挙公約で、「4月28日を『主権回復の日』として式典を開催します」とし、3月12日の閣議で式典開催を決めました。
しかし、普天間基地の辺野古移設やオスプレイの強行配備を巡って、沖縄との間に深刻な溝が生じているこの時期に、主権回復式典を強行するのは、まったく政治意識が欠落しているとしか言いようがありません。

(元高校社会科教員・今井 浩太郎)


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