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第294号 2015.05.25
日本国憲法は、1946年11月3日公布、47年5月3日に施行されました。安倍自公政権は、戦後70年、平和憲法として為政者の暴走から国民を守ってきた憲法を自分たちの都合のいいように書き換え、統治しようとしています。どんな時に憲法の心を感じますか?本や音楽、憲法への思いを寄せてもらいました。
古い送りがなの割に、文体としてはきわめてやさしい日本語である点が好きです。
憲法を作った当時、今から70年前の国会の議論などは、もっと古い言葉や文章でやりとりしていたのでしょうに、作られた憲法は今でも普通に使い通じる、平易な日本語の文章であることには驚きすら感じます。
きっと憲法を作る時、国民だれもがみんなで理解して子や孫の世代まで残す文章にするんだ、という強い気持ちがあったのだと思いますし、それだけ内容もよく考えられているんじゃないかと思います。ちっとも古い感じがしない、それが日本国憲法だと思います。
「素晴らしすぎて発売できません」と新聞広告が出て発売中止になったことでも有名なRCサクセションの「カバーズ」は、1988年のアルバムです。
27年も前の曲なのに、まるで今の曲のように胸に迫ります。平和、自由、平等、反核そして愛、と内容は憲法そのもの!「サマータイムブルース」も強烈ですが、私は「明日なき世界」の最後のフレーズで涙が出そうになります。
憲法が変えられようとしている今、情報があふれる今、自分の頭で考えたい。「だまされちゃいけねえ!」
1947年、文部省は『あたらしい憲法のはなし』という教科書を発行しました。中学1年生の教科書として作られ、日本政府が堂々と日本国憲法を語っています。
戦争の放棄を説明する一文...「これを戰力の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」
絶対に私たちの世代に失ってはならない憲法です。この憲法を守り抜くことが、子供達の未来を守ることだと感じています。
あらためて『あたらしい憲法のはなし』を読み直してみました。その中ではいろいろな条文はありますが、憲法の在り方を明確に表現しているのは前文にあると思いました。これらを今の時代に当てはめてみると、憲法を学ぶ大切さがよく分かります。
また、憲法前文の考え方として3つの大切な「民主主義」「国際平和主義」「主権在民主義」が掲げられています。是非みなさんも憲法について学びなおしてはいかがでしょうか。
いたるところで憲法の危機を感じます。診療しているときでさえもそうです。
例えば、触診で乳癌を診断するときの作業。指先でつまんでみても乳癌を見つけ出すことは出来ません。手のひらや指の腹をそっとあてて滑らせます。その動きのなかで硬さの相対的変化を感じることで、腫瘍の硬さや拡がりをつかむことができます。腫瘍にじっと手を押し当てても摘み上げても、腫瘍の実態はつかめないものです。
政治家の思想もそんなものなのでしょう。表出された言語の瞬間を立ち止まって捉えてもその政治家の思想の硬さや全体像はつかめないでしょう。発言の流れの中で初めてその拡がりや形や方向を捉えることが出来るのではないでしょうか。今憲法が危機に瀕しています。
絵本なので、左側に絵、右側に文章。これは基本ですかね。だれでも、ほんとに小学生でも読めるくらい簡単になっています。
九条の会呼びかけ人で作家の井上ひさしさんは言います。「むずしいことをやさしく やさしいことをふかく。」
私たち30代でも、ちょっとよんで、自分のことばで語ってみませんか?怖ろしい時代になってしまう前に、私たちが子供に残さなければいけない想い。私たちの心に持つ、ひとつの武器になるはずです。
安倍政権が「戦争立法」の国会提出と、医療保険制度改革関連法案の強行採決を翌週に企てる5月9日、長野県民医連は長野市内で、憲法と社会保障を守る幹部学習決起集会を開きました。集会では、渡辺治一橋大学名誉教授が「安倍政権の改憲・社会保障解体攻撃にいかに立ち向かうか」と題して、2時間にわたって講演しました。
渡辺氏の講演の要旨は次のとおりです。
❶安倍政権の性格
安倍政権は、タカ派(歴史修正主義)であると同時に、戦後初めて、日本を軍事大国にしようという野蛮な情熱をもつという「2つの顔」がある。
そのために「戦争する国」づくり(憲法改定)、「世界一企業が活躍しやすい国」づくり(社会保障改悪などの構造改革)、それらを受け入れる国民意識の改造(教育、マスコミ対策など)をすべてやろうとする政権である。アメリカや財界(支配層)の切り札として登場している。
❷戦争する国づくり(大国化の第1の柱)
憲法9条の解釈改憲(集団的自衛権)、米軍との共同作戦が可能な侵略の軍隊づくり(海兵隊機能と敵基地攻撃能力)、戦争推進体制の確立(秘密保護法、戦争指導部体制)という3つの柱がある。
集団的自衛権の閣議決定だけでは自衛隊は海外で戦争できない。閣議決定の具体化として国会に出される戦争立法を通すことで解釈改憲が「完成」する。そのねらいは、いつでもどこでもどんな戦争にでも、あらゆる形でアメリカの戦争に加担することである。
戦争立法をつぶせば「戦争する国」はできない。法案を通せば来年夏の参院選に向けて明文改憲にすすむ。戦争か平和か、戦後最大の岐路であり、今年春から夏がまさに正念場である。
❸社会保障と暮らしの破壊(大国化の第2の柱)
大企業のもうけを保障する政治経済体制づくり、それが構造改革である。賃金削減・リストラ(労働法制改革)、大企業の負担軽減(社会保障改悪、消費税増税)、大企業の市場づくり(特に医療分野と原発)の3つの内容がある。
昨年来の医療・介護改革の特徴は、国保の都道府県化や地域医療構想による病院病床の削減に見られるように、構造改革の責任を県におしつけることにある。
❹私たちのこれから〝改憲をはばむ国民的共同の課題〟
戦後最大の国民運動である1960年の安保条約改定反対闘争と比べて、その当時にはなかった国民共同の新しい可能性がある。
それは、全国各地域での安倍政権への怒りと不信、良心的保守層の安倍政権への危惧と離反、民医連をはじめとする市民運動の力の増大、女性の運動の発展、若者だけでなく中高年の立ち上がり、韓国をはじめとするアジアの人々との連携という6点である。
その意味で安倍政権はけっして強くない。各地でこれらの条件をくみつくす運動を強めよう。運動が政治を変える。安倍政権を倒すことは支配層の「最後の切り札」を倒すことであり、日本と地域の転換の第一歩になる。私も全力でたたかいぬく。民医連の皆さんの奮闘をお願いしたい。
◆ ◆
全日本民医連は今、全事業所・全職員に憲法学習運動と憲法を守る多数派形成をめざす行動参加を呼びかけています。
それは改憲によって、私たちの普通の、あたりまえのくらし(平和のなかで一人の人間として尊重され、自由にものを考え表現し、幸福を追求し、健康に生きる......)の条件を失う危険があるからであり、よりよい医療・介護をすすめる根拠とその正当性が踏みにじられるからにほかなりません。
憲法学習会に参加した職員からは、「こんな大変な情勢や憲法のすばらしさについて、後になって、知らなかったとか勉強不足だったでは済まされない。今ががんばり時」といった意見が出されています。まさにそういうことだと思います。
法律は国会の多数で決まりますが、憲法は最後は国民が決めるものです。世論は改憲反対が過半数です。多くの国民と連帯し、民医連運動の真価を発揮してがんばりましょう。
(県連事務局長・岩須靖弘)
『自民伸ばせず「16」 共産2増8議席、維新初議席』...長野県議選の結果を報じた地方紙一面トップ記事の見出しです。
いっせい地方選挙で示された国民の意思と投票率の低下、各政党の躍進或いは後退は、地方選挙であっても安倍政権によりいじめられた国民の反発と期待が反映されたものです。
①誰もが安心して住み続けられる豊かな地域社会、②海外で戦争する国でなく、外交を通じた平和共存の世界と平和な国つくり、③雇用と社会保障制度で誰もが大切にされる社会。
私たち民医連は、このような社会を目指す運動の一翼を担い、選挙・地域運動を通して質の高い医療介護福祉の活動を目指し、今後も努力を積み重ねていきましょう。とりわけ選挙戦と運動の中で、当初反対だった保守系候補者が公約に掲げるようになるなど、「障がい者と子供の医療費窓口無料化」が大きく注目されたことは重要です。全国的に見ても長野県が最も遅れているこの課題克服に向けて、県民の世論をさらに大きくしていきましょう。
東南西北
上伊那
世代を超えた共同プロジェクト
5月3日、JA上伊那フラワーパレスで「原発と憲法を考える憲法記念日の集い」が行われ、約300人が参加。東京慈恵会医科大学の小澤隆一教授が「国のあり方の根幹を変える『戦争立法』-日本国憲法9条から考える」というテーマで講演、「9条を守ることは世代を超えた共同のプロジェクト」と、戦争立法成立阻止への連帯を呼びかけました。
長 野
元自衛官も署名
結成10周年を迎えた長野市憲法9条の会連絡会は、5月3日に市内数か所で毎年恒例の憲法記念日署名宣伝行動を行いました。22人が参加しました。署名は175筆集まりました。善光寺御開帳でにぎわう中央通りでは、元自衛官の青年が「このままでは本当に自衛隊死にますよ」と危機感を口にし、署名してくれました。
諏 訪
憲法フェスティバルに参加
5月3日、諏訪市文化センターで憲法フェスティバルが開催され、300人が参加しました。諏訪共立病院青年平和委員会は、福島フィールドワークの展示やNPT再検討会議のニューヨーク行動に参加した職員の報告、ピースタオルの販売を行いました。改憲を目論む政府に、多くの人と手を携えて反対の声を挙げなければと感じました。
中 信
あずみの里で「戦争を語り継ぐ会」開催
5月16日、高齢者施設あずみの里で、9条の会主催による「戦争を語り継ぐ会」が開催されました。75人というたくさんのみなさんに参加してもらい、3人の戦争体験を聞くことができました。意見交換では、二度と戦争を起こさない事や戦争立法阻止に向けた意識を高めました。
飯 伊
地方自治で憲法を活かそう!
5月10日、喬木村9条の会総集会が行われ、約70人が参加。憲法への関心の高さを感じました。「憲法が活きる地方自治 満蒙開拓から学ぶもの」というテーマで阿智村前村長の岡庭一雄さんの記念講演が行われました。憲法9条を守るだけではなく、それぞれの自治体で憲法を活かす努力をすることが大切であると学びました。
東 信
伊藤弁護士を講師に憲法学習会
4月25日、伊藤真弁護士を招き、上田市創造館で憲法学習会が開かれました。700人余りが参加しました。講演では、憲法9条のもと、私たちは戦争のない・戦争をしない平和な国として戦後70年を過ごしてきた経緯が話されました。数えきれない尊い命の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないと思いました。
近藤 大地 医師
長野県千曲市出身です。富山大学を卒業しました。趣味は滝や温泉、美術館を巡ることです。将来は患者さんから信頼される医師になりたいと思います。未熟者ですが、これから日々目標に近づくよう努力して参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。
上田 修也 医師
出身は上伊那郡箕輪町です。出身大学は東海大学です。趣味はスノボーとサッカーで山雅FCが好きです。あとお酒が好きで、特に梅酒が好きです。
上伊那地域は特に医師が少なく、将来は地元に帰って貢献できる医師になりたいと思っています。今はわからない事ばかりですが、とにかく頑張って上伊那地域を支えられる医師になりたいです!!!!!
北原 茉莉 医師
出身は松本市で、日本医科大学を卒業しました。学生時代の病院見学でコメディカルとの連携を重視した患者さん中心の医療に感銘を受け、長野中央病院での研修を希望しました。先生方やコメディカルの皆様から多くのことを学び、地域の医療に貢献できるよう日々精進していきたいと思います。
保浦 修裕 医師
出身は北海道の函館市で、東京医科歯科大学を卒業しました。趣味はゲーム、水泳などです。まだ志望科は決めておりませんが、全身を診られるジェネラルな視点を持った医師になりたいと思っております。長野に住むのは初めてですが、非常に温かみがあって人情あふれる地と感じております。よろしくお願いいたします。
石田 友葵 医師
安曇野市明科出身で大学は福井大学でした。趣味は旅行、美味しいお店探索、ゴルフ、スノーボードです。県内でおすすめのお料理屋がありましたら是非紹介していただけると嬉しいです。知識と判断力を身に付け、患者さんの気持ちに寄り添った医師となれるよう、一生懸命研修していきたいと思います。。
2分で読めるミニ学習
難病患者の医療費助成制度が変わったそうですね。
2015年1月1日から変わりました。厚労省が示した当初の案は「『公平性』という言葉で患者の命を脅かす」という当事者はじめ国民的批判を浴びて修正が重ねられました。
スタートした制度では、対象となる病気が56から110になり、今年の夏に306まで増える予定です。患者の自己負担割合は3割から2割になり自己負担限度額が所得に応じて決められます。
しかし、「市町村民税非課税」世帯は月に2500円または5000円、人工呼吸器等装着者は月に1000円の自己負担限度額が新たに発生しました。また、入院時の食事代は全額自己負担になりました。院外薬局による薬代も自己負担限度額に計上されることになりました。このように実質的には自己負担増です。
今後、医療費助成の対象となる病気がさらに増えることは大切ですが、自己負担増は命を脅かすものであり、やめるべきです。また、重症度の認定が行われることにより、軽度者の制度利用制限がされないようにすべきです。
(健和会病院外来医事課長・岡田 正史)
現行制度(~H26.12.31) | |
算定の対象者 | 生計中心者一人 |
算定対象の税金 | 所得税 |
入院・外来の区別 | 入院・外来で別に |
自己負担限度額 | 0~23,100円(月額) |
自己負担限度額の算定 | 1医療機関ごとに算定 |
入院時の食事 | 上記の自己負担限度額に含まれる |
院外薬局による薬代 | 自己負担なし |
重症患者 | 自己負担なし |
市町村民税非課税者 | 自己負担なし |
人工呼吸器等装着者 | ― |
生活保護受給者 | ― |
新制度(H27.1.1~) |
患者が加入する医療保険上の世帯員 |
市町村民税(所得割) |
入院・外来の区別なし |
0~30,000円(月額) |
複数の医療機関等の自己負担額の合算で算定 |
全額自己負担(経過措置3年間は2分の1) |
月額自己負担額に含まれる |
自己負担あり(経過措置3年間を過ぎると重症区分なくなる) |
自己負担あり |
月額自己負担額1,000円 |
月額自己負担額0円 |
NPT再検討会議に参加した各国代表に、「核兵器の廃絶への確かな一歩」を促すニューヨーク行動が、4月25日~5月1日に開かれました。県連から参加した7人の仲間に報告してもらいます。 |
強く感じたのは、戦争や日本に原爆が落とされたことを知らない若い人が増えていることです。核兵器廃絶の署名をお願いしても無関心で通り過ぎた人も大勢いましたし、核兵器は必要だと意見する人もいました。そういう人々の考えや無関心さを変えていけるのは、やはり今取り組んでいる地道な草の根活動や教育ではないでしょうか。
今回ニューヨークで学んだことを自分自身の周囲の人たちに伝えていくことを私の使命とし、これからも草の根活動に取り組んでいきたいと思います。
上伊那の5000筆超、全体で633万6205筆の署名をフェルーキ再検討会議議長とケイン国連軍縮上級代表に手渡し、「核軍縮は市民一人ひとりの行動があってこそ。それは署名です」と力強いメッセージをもらいました。
パレードでは7500人以上がメッセージを掲げて行進し、街頭署名後、通行人とともに「No more WAR!」を連呼。シンポジウムでは、「非核国は、国連創設70年で核廃絶の機運が高まっている」(メキシコ軍縮大使)、「国際法と正義のもとに傲慢なオバマ・安倍政権をストップし、人間の運動を構築しよう」(アメリカフレンズ奉仕委員会)と。核抑止論勢力を世論と運動で追い詰める日本の役割の大きさを実感しました。
大変良い経験をし、勉強にもなりました。個人的に署名活動は日本でも経験がなかったため、かなり抵抗がありました。実際に署名して下さる方は少なく、アメリカでの核兵器に対する意識は低いのだと感じました。
日本でも8月6日や9日が何の日か分からず、原爆が落とされた事実すら知らない若い人が増えていると聞きました。家庭も学校も教えないのだと思いますが、日本国内がこのような状態では、海外の方に一生懸命アピールしても伝わらないのではないかと思いました。国内で原発事故ですら記憶や関心が薄れているのも、日本人自身の無知が関連しているのではないかと感じました。
NYでの街頭署名行動では、道行く人に英語で声をかけ12筆の署名を集めました。署名のお礼に、折り鶴と、日本国憲法前文と9条、核廃絶アピールの英文を印刷したカードを手渡しました。
パレードでは職場から託されたハッピと白衣、ミニ鯉のぼり、折り鶴、下駄、手ぬぐい、という出で立ちでマンハッタンを歩きました。その他、国際シンポジウムや医療福祉関係者のつどい、国連本部の見学などがありました。
今回の現地での経験を職場や地域で共有し、今後の核廃絶・平和運動を深め、さらに盛り上げていくための大きな糧にしていきたいと思います。
633万筆あまりの「核廃絶」を願う日本国民の声をNPT再検討会議の場に無事届けることができました。
NYでの署名活動やグローバル・ピースウェーブとして1万人を超えるフェスティバルやパレードに参加するなど、初めてのことばかりでした。
その中で、「核廃絶」は世界共通の願いであり、その願いを実現するためには僕たち一人ひとりの意思表示が重要な意味をもっており、とくに唯一の被爆国である日本が先頭に立って訴えていかなければならない立場になることを再認識しました。
「署名はとても心強い。核軍縮は正しい事、そして可能な事。正しい目的に向かって正しいやり方で活動している」と私達の努力が高く評価されました。潘基文国連事務総長からは「署名は軍縮のチャンピオン。感謝しています」とメッセージがよせられました。核兵器廃絶の声は世界を動かしています。
世界各地ではベトナムは150万筆以上を集め、イギリスは平和行進を行っています。しかし、日本政府は唯一の被爆国にも関わらず「核抑止論」を主張しています。被爆者を無視するあるまじき発言です。これからも核廃絶を願う世界の大多数と共に運動を強めていきましょう。
私が参加した動機は、被爆者との出会いです。私に被爆体験を語った後、「オバマ大統領の言葉を聞いて気持ちがすごく楽になった」と仰っていました。原爆を落としたアメリカの道義的責任を認め、核兵器廃絶を目指すと訴えたプラハでの演説を聞いて、希望を見出されたのでしょう。その後しばらくして、その方は亡くなりました。
未来の為に過去を伝え世界に核廃絶を訴える。私はその想いを引き継ぎニューヨークでアピール行動をしてきました。学んだことを別の人に伝えていきたいです。