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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第297号 2015.08.25

戦争で殺されるな!戦争を殺せ!100歳のジャーナリスト むのたけじさん渾身の訴え安倍政権の強行採決を許さず、「戦争法案」絶対廃案へ力を合わせよう!

むのたけじさんは、1915年生まれの100歳。太平洋戦争中、朝日新聞の従軍記者として戦地を取材しました。終戦の日、戦争責任を感じて退社し、故郷秋田で週刊新聞「たいまつ」を創刊。ジャーナリスト・評論家として反戦を訴え続けています。参加者に感動と勇気を与えた「NO!『戦争する国』生かそう!平和憲法長野県民大集会」(6月7日長野市)での訴えを再録します。「戦争法案」廃案の力

積極的平和主義は軍国日本の復活

むのたけじと申します。
20分という時間を与えられました。
安倍内閣が企てている戦争できる道をぶっ壊すために、私の言葉が役立つならば、20分どころか20時間でも200時間でもしゃべり続けたい。
私は21歳から今日まで、ジャーナリスト・評論家といわれる仕事を続けていろんな集会を見てきました。そして、今日の会場に満ちている熱気に、安倍内閣の戦争回復計画は必ずぶち壊されると確信します。お互いにがんばり通しましょう。
私は従軍記者として戦場を経験してまいりましたが、戦場に行った途端に人間の全身を襲う恐怖があります。相手を殺さなければ、自分が殺される。自分が生きようとすれば、相手を殺さなくてはならない。この絶望的な恐怖の心理は3日続いて、4日目には壊れます。道徳観もすべてなくなります。
安倍晋三という人は、だれも言わなかった「積極的平和主義」という言葉を用いました。積極的な平和主義ってなんでしょう。安倍晋三よ、消極的平和主義っていうのはあるのか。
その政策は「集団的自衛権の行使」なんぞという言葉を持ち出し、あきらかに憲法9条の戦争放棄、軍隊を持たない、兵器を持たないという今の体制をなし崩しにして、もとの軍国日本の体制に戻ろうとする企みです。そのために、積極的平和主義という言葉を使っている。私たちは、それをけっして許すことはできません。

「お母さんと一緒にいたい」と泣く子どもたち

あの15年戦争の間、私は新聞記者として日本の国内のあちこちを見ました。戦争になれば戦場だけではありません。国内を鉄砲の後ろ_「銃後(じゅうご)」といい、軍隊と同じように命令と服従の論理で締め付けてまいります。そして、食い物のない配給制度になる。
少し変わったことを言えば、国民に非ず_「非国民(ひこくみん)」といって疎外します。軍隊のいる場所だけでなしに、家庭も職場も学校も非常につらい場所に追い込まれます。問題を起こしたくないために、「見ざる、聞かざる、言わざる」と自分で自分にコントロールをかけるようになります。
もっとも辛い思いをするのは誰か。子どもと女たちです。13歳未満の子どもは戦争の役に立ちません。15歳以上になれば、少年兵とか軍需工場に行くようになるけれども、それ以下の子どもは邪魔者扱いされます。
3月10日の東京大空襲の後、東京の子どもは富士山麓へ学童疎開というかたちで追い払われました。私は新聞記者としてそこに取材に行きました。
そうしたら、子どもたちがわーっと寄ってきた。見れば食い物が足りなくてかさぶただらけ、目もくちゃくちゃ。そして私に抱きついて言うのです。
「東京から来た新聞記者さん、わたくしたちはお母さんと一緒におれば一番安心です。それなのになぜこんな山梨などの山間の町へ送られたのでしょうか。新聞記者さんよ、東京へ帰ったらすぐ文部省や大人たちに言ってください。ぼくたちみんなが東京へ帰りたがっていることを。それで、ぼくたちの願いをかなえさせてくれるというなら、子どもたち全員で富士山のてっぺんまで、いま登ってお見せします」
なんのための戦争なのか。子どもたちにはまるっきり見当もつかない苦しみで、悶(もだ)えていた証拠じゃありませんか。私は80年間文章を書く仕事をして、ぽろぽろ涙をこぼしながら書いたのは、有楽町の新聞社でこの記事を書いている時です。こういう戦争が、どうして人間の喜ぶ社会を作ることに役立つでしょうか。

泣くことも許されなかった未亡人

女たちは、夫、兄弟を戦場に送ったあと、軍需工場に駆り出されたり、空襲で火事が出たら消す訓練をさせられながら、必死になって歯を食いしばっていました。
私はある農家に行きました。そこの主人が戦死したという通知が来ました。奥さんは納戸に入ってオーオーと泣いています。ところが集まってきた在郷(ざいごう)軍人、役場のお偉方(えらがた)連中は、泣くおかみさんに、「そういう軟弱な心じゃだめだ。私の夫はお国のため、天皇のために見事に死にましたと、けなげにこう言いなさい。そこに新聞記者の人がいるじゃないか」と言いました。私はその時、戦争体制で本当のことを書けないにしても、ウソはけっして書かないと決意したものです。
これが戦争なんです。大きな未来をもつ子どもたちに悲しみを与え、命の母である女性たちにうそつきの美辞麗句を言わせる戦争を、どうして私たちは許すことができるでしょうか。ほんっとに腹を決めて頑張ろうじゃありませんか。

本気で愛しあえば戦争はなくなる

長野県のみなさまに申し上げます。戦争をなくすために、男と女とが本気で愛しあおうではありませんか。
もし男どもが女性たちを本気で愛したならば、どうなるか。この愛する女たちを未亡人にはできない。自衛隊にも軍隊にも行かんぞ。そういう決意をするでしょう。女性たちは、愛する夫、愛する恋人を死亡率の高い戦場にはやらない。ぜ~ったい戦争反対だ。こうなれば男女の協力によって、戦場に行く人間はほとんどいなくなるではありませんか。
よく「戦争をなくすなんてそういう大きなことを言ってできるわけがない」といいますが、男と女が真剣に愛の花を咲かせたら、長い年月をかけず、数日にして戦争のできない国家体制が作れるではありませんか。
今日の集会が、日本の過ちを防ぐうえで大きな力を発揮したと振り返る日が来ると思います。お互いにきっちりと腕と腕を組んで、戦争のない平和な社会、世の中を実現するために、とことんたたかい通しましょう。
戦争で殺されるな!戦争を殺せ!がんばろう!

(インターネットを「むのたけじ」「長野市」で検索すると、YouTubeで動画を見ることができます。)

8月2日松本駅前
8月2日松本駅前

不戦を誓って 熱いぞ70年目の夏

戦争法案NO! 国民と安倍政権との激しいせめぎ合いが繰り広げられています。70年目の夏に広島で、辺野古で、県内で熱く。

米軍基地キャンプシュワブ前での座り込み

辺野古で後世に負の遺産を残さないたたかい朝倉 大悟 〈諏訪共立病院・PT〉

7月15日から3日間、沖縄の名護市辺野古の米軍基地キャンプシュワブ前での座り込みに参加しました。当日も気温35℃湿度75%という猛暑日でしたが、多くの地元の方がすでに座り込んでいて、熱気と今まで感じたことのない雰囲気に圧倒されました。

米軍基地キャンプシュワブ前での座り込み

私も座り込みとデモに参加しましたが、地元の方の「米軍基地は負の遺産です。これを後世に残さないために私たちはたたかっています」という言葉がとても印象的でした。
私たち若い世代に「負の遺産を残すまい!」とたたかってくれている沖縄の「おじい」や「おばあ」の少しでも手助けになるような活動をやっていかなければならないと、強く感じました。

飯田で「平和のための信州・戦争展」実行委員会へ参加小田 俊政 〈健和会病院・事務〉

平和のための信州・戦争展平和のための信州・戦争展

8月15~17日、飯田市の鼎文化センターで「平和のための信州・戦争展」が開催されました。実行委員会には飯伊民医連から健和会病院、ゆいの里、はやしの杜の職員が参加しました。
健和会病院は記念講演の司会などを担当し、16日に行われた若者だけのピース・ミーティングにはNPT世界大会へ参加した服部さんが報告を行い、高校生と語り合いました。
安斎育郎立命館大学名誉教授の記念講演では、『平和とは"戦争のないこと"ではなく、"暴力のないこと"という理解が広まりつつある』とのメッセージがありました。戦後70年の言葉の意味、日本政府が推し進める"抑止力"という名の"軍事力"や"暴力"では平和はつくれないと強く感じました。

松本で駅前を埋めた「戦争法案NO!」小澤 康士 〈塩尻協立病院・事務次長〉

戦争法案NO!

"「戦争法案」の廃案を!8.2長野県民大集会"が、8月2日に松本駅前で行われ、約1300人が参加。駅の温度計がときおり40℃を表示する猛烈な暑さの中でしたが、主催者あいさつに「大変な天候の開催だが、いま頑張れば必ず廃案にできる!」とあり元気よく参加しました。
集会後は駅前から松本城に向って行進、観光客も多く「病院の人だね頑張って!」と声をかけてくれる方もいて、大きな声でアピールをしてきました。憲法違反の法案、医療福祉の仕事をしている私たちこそが先頭に立って、廃案にするため頑張って行動していきましょう!

長野で毎週金曜日に宣伝行動新村 洋 〈医局事務課・課長〉

毎週金曜日に宣伝行動

長野医療生協では7月から毎週金曜日の昼12時から13時まで、「戦争法案」に反対する宣伝行動に取り組んでいます。毎回20人から30人の職員・組合員が参加し、これまで延べ100人が行動しました。クラクションを鳴らしてくれる人、「お疲れ様。頑張ってね」と声をかけてくれる人など、共感の輪の広がりを実感しています。
参加した看護師は、「これまで政治にあまり関心がありませんでしたが、この行動に参加したことで、戦争法案がいかに危険かわかりました。日本が戦争に巻き込まれないように、政治に関心をもち、これからもこのような活動に参加したいです」と語りました。法案の廃案をめざし、8月以降も行動を続けていく予定です。

原水爆禁止世界大会

広島で



8月4~6日、広島で原水爆禁止世界大会が開かれ、県連からは共同組織からを含め37人が参加しました。


広島で言葉で表せないほどの衝撃竹内 明日香〈上田生協訪問看護ST・ケアマネジャー〉

「被ばく体験の継承と実相普及」の分科会に参加

安倍政権の暴走が止まらず、安保法案が衆議院で強制可決されてしまった今、戦争の悲惨さ、愚かさを再度学びたいと、初めて参加させてもらいました。
「被ばく体験の継承と実相普及」の分科会に参加し、被ばくされた方からいろいろなお話を聞くことができました。教科書などでしか学んでこなかったため、生々しい体験談を聞き、悲惨とかそんな言葉では表せないほど衝撃的でした。それなのに、再び愚かな道を行こうとしている安倍政権が本当に恐ろしいと改めて感じました。
最近の20代前半の若者たちが「被ばく」という言葉を知らないこともショックでした。今回、学んだことや被ばく者の方の話をこれからの世代に伝えていかなければならないと強く思います。

広島で今年から語り始めた被ばく者も大槻 知広 〈上伊那医療生協本部・事務〉

原水禁世界大会に参加

初めて原水禁世界大会に参加しました。被ばく70年の節目の年であり、与党による安全保障法案可決に向けた動きと、反対する民意が激突する中、参加できたことは大いに意味があったと思います。
被ばく者の平均年齢も80歳を超え、戦争体験をなんとしても語り継いで、今後も戦争をしない日本であってほしいと、今年から被ばく体験を語った方もいました。
彼らの思いに応え、自分たちも自分の子どもたちもその子どもも、悲惨な体験をしないように、私自身が今回聴いた事を発信していけるように頑張りたいです。

切開特別版 安倍首相「70年談話」で見えたもの、見えなかったもの安倍談話のおかしな・おかしな認識

1. 「日露戦争は、...多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

日本の歴史の反省の材料として取り上げられる「大東亜共栄圏」思想を、これほどまでに公然と肯定することは、まさに亡霊の妄言です。

2. 「...尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。」

安倍首相「70年談話」で見えたもの、見えなかったもの

この文章は、「日本が過去に行ったアジア諸国への侵略戦争による多くの犠牲者と、侵略戦争への反省の上に、現在の(日本の)平和がある。これが戦後日本の原点であります。」となるのが普通の歴史的認識ではないでしょうか。

*     *

戦後70年の談話を、日本の首相が敢えて表明する意味は何でしょう。
その目的は、70年前に終わった戦争が、アジア諸国への侵略戦争であったという事実を再度確認し、謝罪することで、歴史認識の共有と連帯をアジアの中で広げ、再出発の契機とすることではないでしょうか。
その談話の文章の順番は、まずアジア諸国とその地域の人々への謝罪から始まるのが本来の筋道ですが、安倍談話はこれが見事に逆転しています。

*     *

自分の本当の心と自分の言葉で書かれていない文章は、単なる報告文で人の心には響きません。間違った歴史観やとってつけたような「美文」は、日本を含むアジアの人々の心を勇気づけ、アジアの人々の連帯の気持ちを広げるどころか、日本を一層窮地に追い込むものです。
空気の読めない政治家ほど危険で厄介なものはありません。70年談話が、とんでもない歴史誤認と好戦的な文章にならなかったのは、むしろ国民世論の力だったというべきです。

(怒熊)

地域の医療連携がすすんでいます 県連内の医療支援はもとより、他病院との連携で地域医療を守り、医療人を育てる連携が生まれています。

慢性腎臓病専門外来始まる

【諏訪共立病院】

7月から毎月第2、4月曜日の午後、諏訪赤十字病院腎臓内科の竹前医師による慢性腎臓病専門外来が始まりました。外来では、治療薬の最適化と栄養指導など内科的管理を強化し、疾病進行の緩和を図ります。
諏訪地域では、7病院の院長が集まる病院長連絡会、地域連携担当者が集まる病病連携実務担当者会議を各々年3回開催するなど、各レベルで顔の見える関係をつくっています。
地域連携と当院の医師負担軽減への諏訪日赤大和院長のご厚意に感謝し、職員のスキルアップを図ります。

(事務長・片野 恵太)

地域医療研修を受け入れ

【上伊那生協病院】

地域医療研修地域医療研修

上伊那生協病院では、上伊那地域の急性期拠点病院である伊那中央病院から地域医療研修の受け入れを行っています。今年度は5月から7月まで3人の研修医を連続して受け入れました。
研修では、治療だけではなく、家族関係など患者さんの社会的背景を考慮しながら、退院後の生活を見据えた援助のあり方を考える機会となるよう工夫しています。厳しい医師体制ですが、県連から指導医派遣も受けて継続することができました。

(事務次長・高橋 誠)

NO WAR! 平和憲法守る私の声 22

村田 洋一 諏訪地域民医連連絡会事務局長

戦争を知らない世代の自分にとって一番身近な戦争はベトナム戦争でした。大学入学の1975年4月30日サイゴン陥落、南ベトナム解放のニュースは今でもよく覚えています。解放後、米軍による785万tという爆弾投下量や枯葉剤7500万ℓ(ダイオキシン含む)散布による人や農地、森林などへの被害の実態が明らかになりました。南北ベトナム人約600万人が死亡、アメリカは延べ数百万人の若者が動員され約6万人の兵士が死亡。沖縄嘉手納米軍基地からB-52爆撃機がベトナムに飛び立ち、多くの米兵の遺体が帰還しました。日本の産業界は米軍に必要な物資をつくり大いに協力し、潤ったのです。
時を経て、アメリカはイラクやアフガンに対しても一方的な攻撃を行いました。安倍政権が何としても通そうとしている平和安全法制という名の戦争法案は、米軍の行う戦争の片棒を担ぎ、「殺し殺され」の戦闘行為を行う憲法違反の法案です。何としても今停めなければなりません。戦争で自衛隊員が戦死すれば「その戦争に反対する者は戦死者に対する冒涜であり国賊だ」と声をそろえて戦争肯定論が強くなり泥沼化していきます。戦争は始めるより収束させる方が難しいのは今までの歴史が証明しています。
戦争は戦場に限らず、人々の夢と希望、自分のやりたいことも認めません。高齢者や子ども、障がい者など社会において弱い立場にある人たちやマイノリティと言われる少数派の人々は戦時においては必ず迫害を受けています。国家に物申す集団・組織・個人も弾圧される世の中になります。無関係な人はいないし、無関心であってはならないと思います。法案の危険な内容に気がついた多くの人が反対の意を表明しています。今、中高年はもとより、10代20代の若者たちが、自主的に立ち上がっています。広げよう、伝えよう、そして戦争の芽を根こそぎ取り払おう。共に頑張ろう!

長野県連 ぐるっと事業所めぐり24

[飯島町] 生協ケアプランセンターこすも

生協ケアプランセンターこすも

伊那南部に位置する飯島町にある居宅介護支援事業所です。以前は「生協診療所いいじま居宅支援事業所」という名前でしたが、この4月の移転に伴い、名称も変更しました。「こすも」の由来は、建物の場所が「コスモタウン21」という商業施設の跡地を有効活用しているからです。廃墟となった跡地に元の賑わいを取り戻したいとの願いが込められています。地元の「越百の水」も有名です。
事業所では、4人のケアマネージャーが働いており、皆、個性豊かです。「断らない」をモットーに、初めての有料老人ホーム入居者のプラン作成にも携わっています。無床診療所から複合施設へと大きくなり、併設の健康運動広場の受付嬢もしながら頑張っています。

(ケアマネ ・ 田中 ひとみ)


  • 所在地
  • 長野県上伊那郡飯島町飯島2050-1
  • 連絡先
  • TEL.0265-95-1075

民医連らしいカルテを書こう

8月8日、北海道民医連・勤医協札幌病院内科の佐藤健太医師を招き、上伊那生協病院で医学生と研修医を対象に研修会を開催しました。

実際の病棟回診をもとに

午前は医学生や研修医中心に、佐藤先生や県連内から集まった指導医のもと実際に病棟回診をし、カルテで病歴や検査データも確認、午後はその患者情報を元に実践的な「カルテの書き方」、S・O・問題リスト・A・Pをどう書くかを学びました。
佐藤先生は、「整理して書いてみて、情報が足りないとわかったら患者の元に、判断できないと分かったら勉強を、そして誰が見ても、後から見てもわかるカルテを」と語りました。
その後、指導医への患者のプレゼンの仕方を学び、「救急外来で診察した急性冠症候群疑いの患者について、眠くて不機嫌で、他の患者を診察中の循環器指導医を呼び出す電話プレゼン」という難題のロールプレイにも挑戦しました。
一日を通して超実践的な流れを学習でき、参加した医学生は臨床のイメージを、研修医は日常の実践と標準的な型とのズレを学ぶことで一歩上のレベルを経験できました。

2列目右から5人目が佐藤医師
2列目右から5人目が佐藤医師
ナイトレクチャーⅠで
ナイトレクチャーⅠで

ナイトレクチャーで深める

「型」が身につくカルテの書き方を講義する佐藤医師
「型」が身につくカルテの書き方を講義する佐藤医師

夕食後のナイトレクチャーⅠは、午前の患者情報を元に模擬患者を職員にお願いして、実践的な身体診察の学習をしました。深夜開始のナイトレクチャーⅡでは、研修医たちがiPadで撮った身体所見例を3~4例ずつ出して診断クイズ大会を開催。お酒を片手にくつろぎながらも学習漬けの1日でした。

*    *

医師体制が困難な中小病院が地域医療を支え、地域に支えられてきているか、その民医連らしい医療活動が研修医を育て医師も増えてきたという勤医協札幌病院の医師養成にも触れ、中小病院における医師養成の在り方を学ぶことができた研修会となりました。


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