サイトマップ

  • Get Adobe Reader
  • Get Flash Player

長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第301号 2016.01.01

新年女子トーク 女性として医師として未来へ! 鈴木直美医師&医学生

医師をめざす女子学生は年々増加傾向にあります。今回は2人の学生が県連「女性医師の会」会長の鈴木直美医師に女性として医師としての思いを聞きました。

医師、妻、母として

全国の仲間とともに
鈴木直美医師
辰野町出身。京都大学医学部卒業、松本協立病院小児科医師。夫も松本協立病院医師。一男二女の母
学生A
長野市出身。信州大学医学部2年。医学部室内楽団でトランペット担当。医師である父親の姿を見てきたこと、高校の時に「人と関わり、人のためになる仕事がしたい」と医師をめざす。
学生B
栃木県佐野市出身。信州大学医学部2年。陸上部では短距離、昨年10月に諏訪湖ハーフマラソンを完走。「苦しんでいる人を助けたい」と医師をめざす。
ph

学生A先生が医師をめざしたきっかけはなんですか?

鈴木 一緒に住んでいた祖父が体調を崩し、開業医が往診してくれたのを見て、「人の役に立つ仕事はいいな」と思って。受験ぎりぎりまで薬学部での研究も考えていましたが、医師の仕事はやりがいがあると思い選びました。

学生A医師になってからの苦労は?

鈴木 ありすぎて(笑)。主人と研修医同士だったので結婚しても生活は変わりませんでしたが、後期研修2年目で子どもが生まれてからは違いました。周りの先生たちが定時で上がれるように協力してくれたり、保育園の延長保育や主人の母にさんざんお世話になりました。周りの支援が無ければ仕事と出産・育児の両立は難しいように思います。

学生B子どもを産んでから医師として何か変ったことはありますか?

鈴木 小児科医なので、子どもへの接し方がわかったり、お母さんたちの大変さを実感を持って語れたりはしますね。

学生A産休から復帰して困ったことはありませんでしたか?

鈴木 電子カルテやオーダリングシステムに慣れるのに若干時間がかかったかな。点滴とか手技的なものは、やっているうちに思い出しました。

学生B民医連に入った理由はなんですか?

鈴木 大学時代、医療問題研究会という会でとてもお世話になったのが、すぐ近くの民医連の病院でした。私は町医者になりたいと思っていたので、長野に帰って民医連の病院に入ったんです。

「女性医師の会」が誕生

学生B職場ではどうでしたか?

鈴木 松本には平林先生をはじめ女性医師が多かったので子育てなどの面で理解してくださいました。外来看護師さんも子育て経験者が多いので、「参観日だからお休みちょうだいね」と言えます(笑)。
ただ、病院によっては女性医師の割合が異なります。私が長野中央病院で研修した当時は、今ほど女性医師が多くなかったので、医局事務がずいぶん気を遣ってくれました。
ある時、健和会病院の女性医師から突然電話があって、「先生、妊娠中って白衣どうしてましたか?」とヒソヒソ。その時は「下にマタニティーで、上から大きめの白衣着てました」って答えましたが、病院は看護師さんが多いので女性の多い職場だと思われますが、医局は逆転現象です。

学生A女性医師の会はそういう中で結成されたのですか?

鈴木 民医連の中で女性医師のネットワークがほしいなと、2人目の産休中だった02年6月13日に女性医師の会を結成しました。

学生B女性医師の会ではどんな活動をしているのですか?

鈴木 昨年からは2か月に1度、県連のテレビ会議システムを使って女性医師の会を定例化しました。そして年2回は集まって話をしようと、昨年は5月に新入医師の歓迎会と12月の医師総会の夕食交流会の時に顔を合わせました。また、仕事の紹介や興味があることを交流しようと、「JOY」という冊子を作っています。ゆくゆくは学生さんにも見てもらえるような冊子にできればと思います。

  

「戦争法」には黙っていられない

学生A女性医師の会で戦争法(安保法制)案に反対する取り組みをしたと聞きましたが?

鈴木 医師であることと人を殺すことの両立はあり得ません。女性としても母親としても戦争には反対です。
きっかけは、長野の松村真生子先生と松本の冨田礼花先生のメールのやりとりがはじまりです。松村先生から「戦争法案に対してなにか声を上げることはできないか」という話が冨田先生にあり冨田先生から私に相談があって、7月終わりにTV会議で話し合いました。
8月30日の全国100万人行動には、冨田先生は東京に行きましたが、長野、松本、諏訪、飯田などでそれぞれ地元の集会に参加しようと呼びかけました。こういうことは今までありませんでしたが、「戦争法はあまりにもひどい、黙ってられない」という思いがあったからです。
私たちが生活できる平和な社会を守るためには、私たちが何かしないといけないと感じた1年。1人ではなくて、それぞれが感じていたその思いを行動に移すのは大切なことだと思います。強行採決されたので力がぬけちゃったんだけど、実際に法律が動き出すまで時間があるから、これからも活動していきたいと思います。
医学生はどう感じていましたか?

学生A去年の医ゼミ(全国の医系学生が集まって行われるゼミナール)で「戦後70年企画」のなかで戦争について学んでから、戦争法案について学びました。戦争について学んだ時に命が奪われるのが当たり前になるということに、医学生として反対しなければならないと感じました。戦争法案を学ぶたびに何かおかしい、日本が70年前に経験した道と同じ道を歩むんじゃないかという不安、もやもやした気持ちがあって、反対したいと思いました。
強行採決されてしまったんですが、信州大学の「新安保法制の撤回を求める信州大学人の会」のシンポジウムに参加すると、同じような気持ちの学生が他学部にもいました。いままで若者は政治のことに無関心な人が多かった気がするんですが、これをきっかけにもっと考えなきゃ、私自身そういう気持ちになれたのがすごくいい経験だと思ったし、これからも思いを広げていきたいと思います。

学生B戦争が起こってしまったら、人を助けたいと思っている自分の思いと裏腹に医療者が戦争に加担してしまうかもしれない。一番犠牲になるのは弱い立場の人じゃないかと思うんです。軍事が優先されて犠牲になるのは、間接的にでも経済的に苦しい人だったり、社会的に弱い立場の人だと思います。女性としても、戦争が起こるかもしれないという不安を抱いたまま子どもを育てていく時代になるんじゃないかというのがとても不安です。

鈴木 私たちも学生も、いままで声を上げてこなかった人たちが声をあげたというのは、ある意味、よかった。だからといって、そう思っただけではいいわけない。
日常診療で患者さんに向き合っていくのは大事です。大きな意味で子どもたちを守ろうと思ったら、戦争に反対だし、子どもの貧困を解決できる力にもなりたい。医者だけやっているのではなく、社会に目を向けていきたいと思います。

未来の医師へ

鈴木 医学部は他の学部に比べて忙しいと思いますが、医者になってからの忙しさとは質が違うから、学生のうちにいろんなところに行ったり、本を読んだり、いろんな人に会ったりしてほしいです。
ひと口に小児科といっても、勤務医、開業医、難病の子どもたちを診るなどいろんな医者のあり方があります。大学には大学の役割、大病院には大病院の役割があります。自分が最終的にどんな医師になってどういう医療がしたいのか、自分なりにしっかりした意思をもって頑張ってほしいと思います。お2人はどんな医師になりたいですか?

ph

学生A患者さんが何をどう考え、どうしていきたいのかを、医師と患者という関係だけでなく人と人との関係の中で関わっていける医師になりたいです。そのために学生のうちにいろんな人と出会っていきたいと思います。去年はじめて「医ゼミ」に参加した時に、どうしても社会や医療制度、貧困など自分1人では解決できないことがたくさんあることを知り、もやもやしていました。けれど、2年生になって先輩たちといっしょに戦争法に反対する活動に参加して、医者としても国民としてもできることを考えていきたいと思います。

学生B患者さんと直接接する時も、医療の勉強をしている時もどんな時であっても、社会のことと繋がってくると思うので何事にも真摯な気持ちで関わりたいです。鈴木先生もおっしゃっていましたが、人と人の関わりを大事にしていきたいです。周囲の人に感謝しながら関係を大切にしていきたいと思います。

-----ありがとうございました。-----

第7次長計開始の年 6次長計で積み上げた経験を広げ深めよう!

現在、長野県連は第7次長期計画案を策定しています。第6次は、激変する情勢の中、職員、共同組織の奮闘と連帯により実践がすすめられました。その経験が7次長計の大きな力になります。3つの分野に分けて振り返ってみました。

憲法・社保・平和活動

Peace9
「Peace9」もうすぐ100号!

「Peace9」は、中信連絡会で働く職員が平和への想いを共有できる機関紙です。月1回の発行で、8年続いています。
内容は、編集委員会が選んだ職員に、普段は秘めている平和への想いをリレートーク形式で語ってもらうもの。憲法9条の存在が危ぶまれる情勢ですが、みんなが「Peace9」から平和について考える機会を持ってもらえるようがんばります。

(松本協立病院事務・二木 文康)

福島とずっとつながる

松本協立病院HCU職場では、2012年春、被災した福島民医連の職員に何か出来ることはないかと考え、ペア地域の和田・新村のスイカを送る活動を始めました。
以後、ペア地域の友の会員、他職場の職員の協力で継続し、福島からのモモやサクランボの購入も開始しました。スイカ農家、産直センター、福島の職員との絆も広がっています。忙しい職場ですが自分達にできることを継続して取り組んでいきたいです。

(HCU看護師・岡田 美樹)

和田・新村のスイカを送る活動 HCU

事業活動とまちづくり

施設への往診も
施設への往診も
在宅を支える嚥下往診

健和会病院では、2015年5月から福村直毅医師による、嚥下往診が始まりました。
往診では、病態別・食形態別に具体的に栄養指導等を行います。在宅は「治療」ではなく「生活の場」であるので、嚥下障害があっても患者さんが心配しないでおいしく食べられる方法、家族が3度の食事をいかに無理なくつくれるかという事を第一に考えます。安全な食べ方をすすめながら、元気になるためのサポートを行っています。

(健和会総合リハセンター事務局次長・北原 しのぶ)

高齢者を24時間支えられるように
高齢者を24時間支えられるように

諏訪共立訪問看護ステーションでは、2016年、諏訪広域連合での公募に備えて「24時間定期巡回随時対応型訪問介護看護事業所」設立に向けた準備をしています。12年に地域包括ケアの中心的な位置づけとして新設されたそれは、要介護高齢者の在宅生活を支えるため、24時間を通じて訪問介護・看護が一体・連携して、定期巡回、随時対応するサービスです。訪問看護を必要とする下諏訪・岡谷・諏訪地域の在宅療養者が安心して生活できるように、しっかり支えていきます。

(諏訪共立訪問看護ST所長・青木 裕子)

認知症対応のデイサービス開設
認知症対応のデイサービス開設

南信勤労者医療協会は、2015年12月1日、下諏訪町の諏訪共立ケアセンター赤砂内に、認知症対応型通所介護施設「通いサービスはるかぜ」を開設しました。定員12人、週5日営業。スタッフは介護福祉士、看護師、作業療法士の3人でのスタートです。認知症で悩んでいる方々が、気軽に通えて、居心地良く過ごせ、「人」「地域」と繋がり交流できる場所をめざします。

(ケアセンター赤砂センター長・西村 高志)

地域の健康活動の拠点にる

上伊那生協病院は、HPH(健康活動拠点病院)として4年目を迎えます。当初からブラジル人学校の無料健診を毎年行い、生徒達の健康課題は明らかになってきました。15年度は健康増進活動で初のスポーツ大会を開催し、地域の組合員さんとも交流を図りました。また、14年度には国際カンファレンスinバルセロナで報告し、第2回HPHセミナーinJAPANで2演題をポスターセッションで発表しました。

(上伊那生協病院SW・小山 建悟)

歯科健診
歯科健診
スポーツ大会
歯科健診
現場の声を地域ケア会議へ

社会保障制度改革推進法により、介護利用料が1割から2割負担になり、サービスを抑制せざるえない、介護度軽度化で必要なサービスが限度枠内では収まらないなど、問題山積です。しかし、私たち訪問看護ステーションは、命の平等と人権を守るために、今起きていることをきちんと見つめ、①「地域ケア会議」にさまざまな現場の声を届けます②共同組織を巻き込み、地域包括ケア構築の中心的存在になります。

(上田生協訪問看護ステーション所長・丸橋 留美子)

共同組織とともに
板本智恵子医師が心臓疾患について話しました

長野中央介護センターつるがには「陽だまり班会」があります。そこで年2回長野中央病院の医師による医療講演を行い、診察室では聞けない医療の話を聞けると好評です。これまでに3人の医師が講演し、昨年11月14日には板本智恵子医師が心臓疾患について話しました(写真)。
班会に医師が参加することで、地域の健康づくりをすすめていきたいと思います。

(在宅総合ステーションながのケアマネ・吉村 敦子)

医師確保・養成と職員育成

10年かけて行ってきた事務職員育成
和田浩副院長の講義を聴く事務職員
和田浩副院長の講義を聴く事務職員

飯伊民医連では、2006年事務育成委員会が発足、検討会議を重ね2年半後「飯伊民医連事務政策」を作成しました。その後、教育要綱づくりに取り組み、11年9月から教育要綱実践が開始されました。1年目研修から職責者研修まで各年代研修チームを作り、獲得目標に沿った研修内容を企画し実践します。毎年「事務職員交流集会」を開催し1年間の研修の取り組みを報告し交流します。
 継続により改善点も見え、少しずつ進歩しながら現在に至ります。今後も後継者対策を柱に事務職員集団で育成に力を注いで行きたいと思います。

(育成委員会事務局長・福澤 敏惠)

奨学生・研修医とともに

全日本民医連より提起された「奨学生を増やし育てる大運動」は、増やすことと同時に、育てることが強調されています。新専門医制度の開始を控え、医学対から初期研修~後期研修のシームレスな医師養成を進めていくことが新時代を切り拓く上で必要です。
奨学生としての成長を初期研修で更に飛躍あるものへ。医師として自らのビジョンが尊重されながら、民医連のめざす社会実現を重ね合わせることのできる医師養成を医学生・研修医と育ち合いながら進めていきます。

(県連事務局医学生担当・梶野 樹)

「実践版っ!!『型』が身につくカルテの書き方」ナイトレクチャー
「実践版っ!!『型』が身につくカルテの書き方」ナイトレクチャー
医系学生ミーティング
医系学生ミーティング

2016年新春からダッシュ! 民医連医療・介護 vs 新アベノミクス

「戦争法」を成立させた後、安倍首相は「新3本の矢」を打ち出しました。①強い経済で国内総生産(GDP)600兆円をめざす ②出生率1.4人を1.8人に増やす ③介護離職ゼロというものです。
しかし、掲げた目標への具体策は見えません。2015年の実質GDPは年率換算でマイナスに落ち込みました。旧アベノミクスで大企業は空前の増益を上げましたが、円安による物価上昇で国民生活は悪化しています。非正規雇用の増加や収入の不安定化で出生率を上げる環境はありません。医療・介護分野でもたたかいの正念場を迎えています。

医療分野

2016年から3年間がターニングポイント
◆25年に向け医療費・社会保障費の削減・抑制を徹底

政府は、新たに「保健医療2035」を定めました。地域包括ケアの完成をめざす「2015年」に向け、今年からの3年間を「改革集中期間」と位置付け、従来の保険医療制度そのものの枠組みの転換、国民皆保険制度の改革をめざすことを決めました。

閣議では、医療費・社会保障費を高齢化等の自然増を5000億円以内に削減・抑制する政策を徹底し、
 ❶ 医療報酬、介護報酬の引き下げ
 ❷ 「確保法基金」による強引な政策誘導
 ❸ 公的給付範囲の制限と患者・利用者負担増
 ❹ 都道府県毎の医療費コントロールと病床・施設や医師等の提供体制の「統制」
 ❺ 新たな「医療の営利産業化」の加速を決定しています。


◆医療・介護提供体制の改革・統制を推進

改革の特徴は、都道府県が主体で推進することです。その核心は医療・介護提供体制の改革・統制です。
これは、上流(二次診療圏の病院・病床の4つの機能分化)、下流(中学校区の地域包括ケアシステムの構築)改革であり、医師の新専門医制度も「かかりつけ医・総合診療医・専門医」の養成と統制として、改革に組み込まれる可能性があります。
すでに今年の診療報酬は引き下げが示され、2018年度の診療報酬と介護報酬の同時改定は、さらに厳しいものになると予想されます。
政府が「2025年医療・介護改革モデル(ときどき入院ほぼ在宅)」実現に向け「改革集中期間」と位置づけた3年間は、民医連にとってもたたかいと同時に事業戦略の決断とその具体化を図る歴史的なターニングポイントです。今年はその結節点、まさに正念場、新年からの早急なダッシュで、激変する情勢に立ち向かいましょう。

(県連事務次長・藤沢 薫)

実質GDP成長率 大企業の経営利益 正規・非正規雇用の3年間の増減グラフ

介護分野

新アベノミクス「介護離職ゼロ」のウソ
◆介護報酬抑制と矛盾
介護報酬抑制と矛盾

アベノミクス新三本の矢のひとつ【安心につながる社会保障「介護離職ゼロ」】は、年間10万人を超える人が親の介護のために離職していることを受け、介護施設の整備を進め離職を防ぐというものです。とりわけ介護者は50代の働き盛り世代で、企業の中核を担う人も少なくありません。その人を離職させない事で経済的ダメージをなくすという内容です。
介護に携わる職員が不足していると言われている現在、箱モノを作っても職員を確保できない事は容易に想像できます。アベノミクスでは安心の社会保障と言いながら「骨太の方針」では介護報酬を含めた社会保障費の抑制を明言しています。報酬改定で経営が成り立たず閉鎖している事業所がある中、職員の給料を上げられるでしょうか?
今までの方針は施設から在宅へ、地域で生活していくために地域包括ケアを推し進め「自助努力」で家族への負担増と給付減の改悪を行ってきたのに、内容が180度変わっています。


◆介護休暇をまず改善すべき

確かに、仕事と介護の両立は大きな課題です。今ある制度として介護休暇が利用されていない事も問題だと思います。休むことで収入が減る経済的負担、仕事が忙しい時に休む心理的負担、分割して利用できない、日数が少ないなど使いにくく、周知されていないことも問題です。
なぜ介護職が増えないのか、なぜ制度が使われないのか、現場の声を聞かず、反省もせず上辺だけの言葉をならべ、国民をだますやり方では介護はよくなりません。今すぐ介護保険改悪を撤回し、社会保障の拡充を行うべきです。

(在宅総合ステーションながのケアマネ・湯本 真由美)

現状:2013年>推計結果:2025年 図

聞かせて あなたのBACK TO THE FUTURE

2015年は、映画「BACK TO THE FUTURE2」でマーティーとドクが訪れた未来の年でした。
タイムマシンに乗ってあなたが行きたいのは、どんな未来?それとも過去?

釣りバカの日々へ

釣りバカの日々へ

大好きな海釣りを毎週のようにしていた20年前に行きたいです。当時は釣りバカ日誌の浜ちゃんのように、毎週釣り道具を職場に持って行き、仕事が終わったら海に直行って感じでした。

(デイサービスやまなみ・名取 淳一)

米寿の誕生日へ

自分が88歳になった日の昼食にお邪魔したいです。米寿のお祝いをされているとすれば、家族全員と一度に会える機会だから。今年は丁度その折り返し地点。

(老健あずみの里2階・大久保 岳雄)

高校生の頃へ

毎日、放課後になると部室へ直行。暗室の独特な匂いと現像液の中から浮かび上がる写真を見て感激したり、仲間との談笑が楽しかったあの頃にもう一度。

(かやの木診療所・牧野 豊子))

子どもたちに遺す未来へ

大人になった子どもたちが笑顔で平和な気持ちで安心して暮らしているか。子どもたちの未来のために今できることを知りたくて、少しだけ覗いてみたい。

(小規模老人保健施設なないろ・田中 敦仁)

10年目の医師として

自分はどんな医師になって居るのか、H先生のように患者さんに寄り添った医療ができているのか・・・? きっと素晴らしい医師になっているはずです♡

(長野中央病院・近藤 大地)

3000年「生き残った人類を観たい!」

3000年「生き残った人類を観たい!」

2500年代頃までには知的財産の社会化が進み、宇宙科学が発達。全ての武器・核兵器を積載した太陽への片道ロケットが各国から発進!

(諏訪共立病院・清水 かおる)

大学受験の年へ

大学受験をしてみたいです。私の通っていた専門学校は、私の次の学年から大学へと変わりました。そのため専門学校と大学の違いを感じていたので、一度大学生活をしてみたいです。

(上伊那生協病院・早津 省吾)

私27歳、長男1歳8ヵ月

私27歳、長男1歳8ヵ月

末っ子が社会人となり、3人の子育ても一段落しました。そんな中、3月に初孫が誕生!成長していく姿を目にすると、あの頃に戻り、今度はゆっくり子育てができたらと思います。

(塩尻協立病院・松井 おりえ)

未来のわたし...

昨年7月に入籍、10月に結婚式をあげました。奥さんを幸せにし、家族が毎日笑顔で過ごせる家庭にであったらと思います。夫として社会人として成長しているはず!

(小規模多機能ケアぬくもり・今井 優輔)

未来の自分で一儲け

1.まず豚の貯金箱に500円玉を投入。
2.未来の世界へ行き、豚の貯金箱の中身を取り出す。
3.1の時間へ戻り、取り出した中身を豚の貯金箱へ投入。
2~3を繰り返し、肥えてきた頃合いに貯金箱を割りたい!

(長野中央病院・米村 大地)

高校1年の自分に会いに...

勿論過去。高校1年、漫然と過ごす自分を一括するために。あの時頑張っていれば、もっと世に貢献する仕事ができたのに・・後悔。

(社福法人林の杜・熊谷 幸一)

「結婚式のケーキカットの瞬間」に

「結婚式のケーキカットの瞬間」に

今度こそ、踏み台を踏み外す事なくケーキカットに望みたい。皆のビデオ画面から姿が消えた瞬間を戻したい。

(松本協立病院・森 礼子)

恐竜が最も栄えていた時代に

ティラノサウルスやプテラノドンの写真や動画をいっぱい撮って、自分の子供に自慢して、そんでもって「パパってすげー!」と言われたい...。

(長野中央病院・荒井 巧)

恐竜が最も栄えていた時代に

やがて迎える老後

「下流老人」という本に出会い老後について考えるようになった。老後に明るい希望はすくないこと。この先、希望をもてる社会に好転しているのだろうか。

(デイケア絹の里・平澤 玲子)

10年後の私に会いに

今の私は成人になったばかりで、まだ未熟です。10年後には、素敵な旦那様と出逢い、バリバリと仕事をしている女性のはず...。

(特養ゆい・代田 麻莉)

「ミス・サイゴン」を観に

過去に戻って歌手の本田美奈子さんのミュージカル「ミス・サイゴン」を観ることです。美しい歌声を奪った白血病、38歳の若さでとても残念でなりません。もう一度心に響く歌声を聞いてみたいです。

(デイサービスつむぎ・ 藤澤 明美)

明るい未来の日本へ

未来に行って「日本の国民のための政治」が行われている日本に暮らしたいです。教育費医療費・介護費の心配なく、基地のない日本を見に行きたいです。

(県連事務局・宮澤 洋子)

銀座のママに

銀座のママに

私は東京都出身。親の都合で長野へ。人生の中での分岐点。もし東京にあのままいたら・・・銀座のママになりたかったかな。今は施設のママ的存在(笑)。

(NPO法人福寿草・小池 歩美)

2016年笑顔でスタート!


このページの先頭へ