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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第319号 2017.08.25

被爆者の声が力に「核兵器禁止条約」採択!藤森俊希さん(日本被団協事務局次長)を講師に学習会

7月7日に国連会議で「核兵器禁止条約」が採択され、核兵器が人類史上初めて「違法」とされました。これまでクラスター爆弾や対人地雷などの大量虐殺兵器には禁止条約がありましたが、最も非人道的で甚大な被害をもたらす核兵器には禁止条約はありませんでした。採択により「核なき世界」に向けたアプローチは大きく前進し、新たな段階に入りました。
この条約の採択にあたっては、被爆者の声が大きな力となりました。7月14日、県連医系学生ミーティングに、被爆者代表として国連会議に参加した藤森俊希さん(茅野市在住)を講師に招いて学習会を開催。信州大学の医学生、看護学生や医学生担当者など20人以上が参加しました。

「あんたらを同じ目に合わせとうない」を引き継ぐ

講演する長友教授

藤森さんは、1歳4か月の時に広島の爆心地から2・3㎞地点で被爆しました。原爆投下の8月6日は体調を崩しており、母に背負われて病院に向かう途中、すさまじい爆風に吹き飛ばされました。命は助かりましたが、目と鼻と口だけを出して包帯でぐるぐる巻きにされ、周囲からは「やがて死ぬ」と思われていたそうです。
藤森家は12人の大家族で、当時広島から避難していた4人の兄弟をのぞく8人全員が被爆しました。13歳で女学校1年生だった4番目の姉は、爆心地から約400m地点で被爆し、遺体は見つかっていません。
被爆当時の記憶はありませんが、お母さんはいつも涙を流しながら藤森さんたちに被爆体験を語りました。「なぜつらい思いをしても語るのか」と問うと「あんたらを同じ目に合わせとうないからじゃ」と答えたといいます。
広島では周りの人はほとんどが被爆者だったため、日常的に被爆体験を聞きながら藤森さんは育ちました。被爆者が高齢化する中で「自分が被爆体験を語り継がなければならない」と考えるようになり、現在は核廃絶の活動に取り組んでいます。

被爆者の声に耳を傾けた国連交渉会議

講師の藤森さん
講師の藤森さん

3月の核兵器禁止条約の交渉会議(第1会期)は、当初被爆者代表は会議初日の最後にオブザーバーとして発言をする予定でしたが、会議直前になって討論の場で発言するように求められ、最終的には討論の冒頭で発言することになりました。被爆者の声が重要視されていることを実感したそうです。
この会議では、核兵器の非人道性や使用された場合の甚大な被害について、被爆者の証言やこれまでの事実をもとに「核兵器の被害は国境を越えて広がること」「次に核兵器が使われた場合どの国もどの国際機関も援助のすべがないこと」「核兵器不使用こそが人類の利益であること」、そして「核兵器の不使用を保証できるのは廃絶以外にありえないこと」が確認され、核兵器禁止条約の採択に繋がりました。

「核兵器禁止条約」採択に背を向けた日本政府

一方、世界で唯一の戦争被爆国である日本政府の代表は、初日の国連会議で「核兵器保有国の参加なしに、建設的で誠実な議論はできない」として会議への不参加を表明しました。これまで日本は「核保有国と非保有国の橋渡しをする」と言っていただけに藤森さんは大変落胆したそうです。
被爆から72年以上たった今でも被爆者が苦しみ続けている現状に背を向ける日本政府の対応は、橋渡し役を自称するにはほど遠い姿でした。

被爆者の声に耳を傾けた国連交渉会議

原水禁世界大会にて
原水禁世界大会にて

講演の最後に、ヒバクシャ国際署名が紹介されました。この署名は「後世の人々が生き地獄を体験しないように、被爆者が生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」という被爆者の願いから、すべての国が核兵器を禁止し廃絶する条約を締結することを呼びかけて2016年に始まりました。
日本と同じ「核の傘」に入っているオランダでは、当初、政府は国連会議に不参加の予定でしたが、市民団体が国連会議への参加を求める署名を集め、政府を会議に参加させたそうです。
署名活動や市民の運動が実際に政治や政府を動かしています。ヒバクシャ国際署名も自分たちが署名することはもちろん、この取り組みに賛同し、署名する人を増やす運動が大切だと藤森さんは締めくくりました。

条約締結から参加へ、運動を広げよう!

条約締結から参加へ、運動を広げよう!

これまでの被爆者と市民社会は、核兵器禁止条約締結を 求めて運動してきました。条約が採択され、これからは核保有国や被爆国でありながら「核の傘」の中にいる日本政府が被爆者や市民の要求を受け止め、核兵器禁止条約に参加するように、さらなる運動が求められます。
藤森さんの講演を聞いた信州大学の医学生や看護学生からは、「被爆者の方が地道に世界を変えてきたように、自分も地道に社会を変えていきたい」「医療者として、市民として、日本の若者として、自分たちのできることに取り組んでいきたい」という感想が出されました。藤森さんの講演により核兵器廃絶に向かう世界の流れを知り、改めて核兵器の恐ろしさと平和の大切さを考える機会となりました。


安倍首相の憲法9条改憲を止める大運動を巻き起こそう! 事務所や共同組織で『宣言』づくりはじまる

安倍首相の改憲発言「憲法9条に『自衛隊の存在を明記』し、2020年に施行をめざす」で9条が戦後最大の危機に直面しています。
全日本民医連理事会は、国会で改憲発議をさせない世論と運動を一気に盛り上げるため、「憲法Café」学習運動を強めるとともに、第2期憲法学習運動と9条守る大キャンペーン、共同の拡大と大署名運動を提起しました。
改憲を阻むには衆議院選挙で改憲勢力を3分の2議席以下に追い込むか、国民投票になった時に過半数の改憲反対票が必要となります。どちらも一人ひとりがきっぱりと意志表示することが必要になるため、法人、事業所、職場から『9条を守る決議・宣言』を挙げる運動に取り組んでいます。現在、県連すべての医科法人から『宣言』が発表されています。

事務職も合流して 県連看護管理者研修フォローアップ講座開催

県連看護管理者研修フォローアップ講座開催

7月28〜29日、県連看護管理者研修会のフォローアップ研修が行れました。2016年に3回行った研修会のまとめとして企画し、受講生15人と看護部員11人が参加しました。
午前は管理者研修で作成した、法人毎の平和や民医連の歴史を学ぶアクションプランと個人目標に対しての現状の報告を行いました。午後は事務幹部学校卒業生13人が加わり「看護幹部への問題提起」として、経営面やともに働く(たたかう)仲間としての協働についてプレゼンテーションをしてもらいました。
その後、法人毎、法人ミックスの2つのグループワークを行い、「私たちはどのような幹部集団をつくるのか。そのために何をするのか」というテーマで、普段なかなかできない「話し合える場」を持つことができました。研修終了後も継続してこのような「場」をつくる計画をたてた法人もありました。
夕食から二次会へと夜の交流も大いに盛り上がり、それぞれ元気に現場へ帰ることができました。

「憲法Caf'e」で職場づくり

県連看護管理者研修フォローアップ講座開催

健和会総務・経理課では、毎月1回の職場会議の時に「憲法Café」の読み合わせや感想の交流・討論を続けてきました。最初の頃は全員で読み合わせをしてから感想の交流を行っていましたが時間がかかり過ぎてしまうためVol.5からは事前に読了してからの感想を交流することにしました。
少人数職場であり、なおかつ「ベテランと若手」という職員構成の職場なので、自由に自分の意見が言えることやタブーをなくす事を考えながら進めてきました。その中で若手から「民医連に入るまで自分は憲法や政治、平和とは無関係だと本気で思っていたし無関心だった。でも、定期的に学習をすることで関係があることがわかってきた」「自分の友達は全く興味がない。やっぱりもっと知らせることが大事だと感じた」などの感想が出ました。
ベテラン職員も自分が今まで学習、経験してきたことを語り、若手が自分の意見を出しやすいように場を作ってくれるなど、率直に感じたことを言い合える会議の場ができ、「憲法Café」を学習するのと同時に「民医連らしい職場づくり」の一助になっていると感じています。
総会方針や評議委員会方針なども会議の場で率直に意見を出し合い、成長していける職場づくりにつなげていきたいと思います。

〝グループホーム南長池れんげそう〞開所!

〝グループホーム南長池れんげそう〞開所!〝グループホーム南長池れんげそう〞開所!

8月1日、長野医療生協2か所目のグループホームが開所しました。7月22日の開所式では、多くのみなさんから期待や励ましの言葉をもらいました。
8月18日現在、7人が入居しています。入居者と職員、新しい者同士ということで開所してすぐはギクシャクしていた部分もありましたが、だんだん落ち着いて過ごせる時間も増えてきました。食事やおやつ作り、掃除などの家事も協力しながら共同生活をしています。歌声が良く響くリビングになっています♪

東南西北

長 野

人デイサービス看護職研修会行う

法人デイサービス看護職研修会行う

長野医療生協のデイサービス4事業所で働く看護職の集合研修を7月14日に開き、7人が参加しました。新設のグループホーム南長池れんげそうの見学も含め、「住み続けられるまちづくり 個別機能訓練加算」と題して豊田孝明法人リハビリ科長から学び、多職種協同だからできること、記録の注意点などの交流もでき、〝やりがい〞の再発見に繋がりました。

飯 伊

賑やかに夏を満喫

賑やかに夏を満喫

ハートヒル川路では、7月27日に入居者93人、来賓9人、ボランティア70人の参加で納涼祭を開きました。入居者さんも実行委員に加わり、準備を進めてきました。当日は、地元のお囃子や保育園児・小学生の歌や演奏が祭りに華を添えてくれました。焼き鳥や五平餅、流しそうめんなどもふるまわれ、夏を感じる賑やかな祭りとなりました。

上伊那

病院屋上で新入職員歓迎会

病院屋上で新入職員歓迎会

7月25日、院内青年委員会主催の新入職員歓迎会を上伊那生協病院5階屋上で開催し、焼肉を楽しみました。参加者は新入職員6人、全体で約20人でした。参加者にも満足してもらえ、普段仕事上での関わりが少ない職種の職員同士の交流ができ、有意義な時間となりました。こういう企画を通じて、職員の輪を広げていければと思います。

東 信

原水禁世界大会参加者の壮行会行う

原水禁世界大会参加者の壮行会行う

7月28日、東信医療生協で原水禁世界大会参加者の壮行会が行われ、15人の職員・組合員が集まりました。大会に参加する職員2人と職員の子の小学生に、折り鶴が手渡され、職員からは、核兵器禁止条約採決という歴史的情勢の下で開催される大会で、被爆の実相と核兵器廃絶運動を深く学んできたいという、力強い決意表明がありました。

中 信

〝玄蕃まつり〞で病院アピール

〝玄蕃まつり〞で病院アピール

7月29日、塩尻協立病院・協立福祉会は、地域広報活動の一環として、玄蕃まつりに職員・家族約40人が参加。連長の中野博文院長を先頭に、揃いの法被に白狐のお面、フェイスペイントなどで、思い思いに地元の民話に伝わるキツネ「玄蕃之丞」になりきり、「協立わっしょい」とかけ声も高らかに市内を踊り歩きました。

諏 訪

ウォールアートで明るく

ウォールアートで明るく

諏訪共立病院小児科外壁のウォールアートが完成しました。子ども達が明るい気持ちで診療を受けられるように、小児科運営委員会が主体となって検討を重ねてきました。壁面をステッカーや折り紙で装飾し、間接照明をあてるととても明るく華やかな雰囲気となり、院内外で好評です。今後は春夏秋冬で装飾を変えていく予定です。

県連初・長野中央病院 緩和ケア病棟オープン

病棟スタッフ
病棟スタッフ
病室
病室
談話コーナー
談話コーナー

緩和ケアは、がんと診断されてから、その人に起こるさまざまな苦痛やつらさを、少しでも軽減し、その人が自分らしく過ごせるように多職種でサポートしていきます。
がんは、日本人にとってとても身近な病気になりました。がん患者さんは、がん自体の症状の他に、痛み・倦怠感などの様々な身体症状や、落ち込み・悲しみなどの精神的な苦痛、経済的な問題などの社会的な苦痛、自分の存在意義を脅かされるようなスピリチュアルな苦痛など、さまざまな苦痛を経験されます。
私たちの病棟では多数の専門職が力を合わせて、いろいろな角度からがん患者さんの苦痛に焦点を当てた治療・ケアを行います。そのため、療養環境も家庭的な雰囲気を大切にし、患者さんや家族が安心して過ごせるように配慮しています。患者さんや家族と関わる時間を大切にし、その日一日をどう過ごすか部屋持ち看護師と計画します。
病室は全部で12床(個室8床・トイレ付6室 2人部屋2室)、遠方からの家族や親戚の人が宿泊できるように家族控室を2室。患者さんの好きなものを料理してもらえるように家族用ミニキッチンもあります。また、談話コーナーはくつろげるようソファー等を用意しました。イベントは、季節に合わせたり、患者さんや家族の希望も訊いて、一つひとつ大切にして心に残るものにしたいと考えています。
今後は看護の質の向上をめざし、研修会や学習会への参加をし、患者さんや家族にこの病棟に入院してよかったと言ってもらえるよう、みんなで努力していきたいと思っています。

サモアからの国際看護実習を受け入れました!!!!

サモアからの国際看護実習を受け入れました!!!!

8月3日、長野県看護大学国際看護実習の一貫で行われている、サモア国立大学の留学生視察を受け入れました。今年で3回目です。
サモアでは糖尿病の患者が多く、日本で行われている治療や看護を学びます。当日は、サモアの学生2人、長野県看護大学生4人、教員含め計8人が来院、松本協立病院の職員7人が対応しました。
今年は「災害」をテーマに、糖尿病教室で行っている「糖尿病患者の災害対策」について南2病棟の五十嵐主任、長野県看護大学卒の大澤主任が院内災害マニュアルの講義を行いました。英語表記での補足が大変好評でした。
糖尿病の災害備品は、実物を病棟で準備してもらったので、参考になったようです。サモアでは「備え」の概念がないとのことで、国際看護としてはそのギャップが良い題材になったのではないかとのことでした。新棟見学では、各部署で温かく迎え入れてもらいました。交流会と振り返りの中で、サモアの学生から「アットホームで、ホスピタリティにあふれた対応がうれしかった」との言葉がありました。
後日、実習担当の宮越幸代准教授から、留学生が無事にホームステイを終えたこと、長野県看護大学の学生達の課題等も含め連絡をもらいました。今後、学生同士のまとめをもらえることになっているので、皆で楽しみに待っています。

NO WAR! 平和憲法守る私の声 409

野口 次郎 伊那谷健康友の会会長

満蒙開拓平和記念館(下伊那郡阿智村)がオープンして以来、ボランティアガイドを務めて5年目に入りました。昨年11月に天皇皇后のご訪問があり、来館者の人数は前年比1.6倍に増え、嬉しい悲鳴です。
飯伊(飯田下伊那)民医連の新入職員研修会では、毎年2日目の午後に記念館を見学され、共同組織の皆さんも支部や班の単位で、多数の方が来て下さっています。ありがたいことです。
飯伊地区から満州移民として渡満した人数は、全国一の比率となる8400人でした。しかもその半数にあたる約4200人が、再び祖国の地を踏むことはありませんでした。敗戦直後の逃避行の中で、集団自決など無惨な死を遂げたのです。開拓団は家族で渡満したため、亡くなった方の大半は、若い母親達であり、幼い子ども達でした。父親は兵隊にさせられていたのです。
記念館の基本姿勢は、開拓団の深刻な被害の実態をお伝えすると共に、関東軍の侵略に加担させられた加害の側面も取り上げています。さらに"
語り部"の体験談を重く受け止めていることです。
下伊那郡松川町の果樹農家Nさんは、敗戦直後の混乱期に、青酸カリを飲んで集団自決を決意されました。親交のあった中国人の援助を受けて自決を取りやめ、その後、家族全員無事帰国された方です。
今年5月にNさんは72年ぶりに旧開拓地を訪れ、その地で命の大恩人の家族に感謝の気持ちをお伝えすることができました。Nさんは6月に"
語り部"として登場し、その体験を話されました。
以下はNさんの結語です。「平和を守るには武器はいりません。人と人との心の結びつきこそが肝要です」。"語り部"の皆さんの共通の願いは「自分たちの体験を二度とさせてはなりません」

人工呼吸器の患者さんの「家に帰りたい」願いに寄り添って 長野中央病院4西病棟

自宅でご家族に囲まれて

原水爆禁止世界大会は、1955年8月、広島での第1回大会以来毎年開催され、唯一の戦争被爆国から核兵器廃絶を訴えて続けてきました。今年は8月7~9日、長崎で「核兵器禁止条約を力に、核兵器のない平和で公正な世界の実現」をテーマに開催され、県連からも32人が参加しました。

松本協立病院・事務

写真

ヒバクシャのお話が頭から離れません。72年前の8月9日11時2分、一緒に蝉取りをしていた友人の「おーい!お前の方に飛んで行ったぞ!」と指差す方を向いた瞬間、凄まじい光に目がくらみ、次に目を開けた時には全く異なる景色になっていました。友人の行方はわかりません。今も蝉の声が怖い、夏が怖いと声を震わせました。「原爆は、瞬間的に人命、文化、自然を破壊し、その後もヒバクシャが死ぬまで生き続ける」という言葉も重く受け止めました。
閉会式で東北の小学5年の女の子が、ヒバクシャ署名について「核兵器廃絶のためにまず自分の住む地域から」と訴えました。戦争を知らない世代が声を上げ、ヒバクシャの経験や思いを受け継ぐことが重要ではないでしょうか。


老人保健施設はびろの里・介護福祉士

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私の心に突き刺さった2つの言葉があります。1つは平和記念公園にある石碑に刻まれた子どもの日記。もう1つはヒバクシャの言葉「皆さんにとっては原爆の日ですが、私達にとっては生きる苦しみが始まった日です」と、今もなお多くの方が後遺症で苦しんでいるという言葉。どうか核兵器のない世界へ...私からも訴えたいです。


長野中央病院・医師

核兵器禁止条約が採択されたこともあり、会場は活気に満ちていました。若い世代の力強さは印象深かったです。大会期間中も署名活動を続ける高校生の姿に、こうした活動が条約採択の力になっているのだなと思いました。核兵器禁止条約を育てていくためにも、私たち若い世代が今まで以上に力を合わせていく必要があると感じました。


健和会法人事務局・事務

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原水禁大会で、被爆者の方をはじめ、さまざまな国の人など、多くの意見を聞くことができ、原水爆禁止への願い、平和への思いというものを強く肌で感じ取ることができました。その方達の思いを無駄にしないように、これからの行動を考えていきたいと思います。


諏訪共立病院・OT

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初めて世界大会に参加しました。「核兵器禁止条約を力に、核兵器のない平和で公正な世界の実現を」をテーマに大会は盛り上がり、熱気と活気に満ちた各県・各国代表が活動報告と平和への思いや希望を語っていました。大会を通じて、知る大切さや署名の力の大きさ、一市民として声を上げる大切さを知りました。


長野中央病院・事務

写真

一番心に残ったのは議長団の安斎育郎さんの言葉です。「バンジージャンプの命綱も切れてしまったら命綱ではなくなる。同様に核兵器禁止条約も核兵器が使われてしまったら元も子もない」-この言葉を聞いて、条約採決に満足するのではなく、核が世界から消えるまで力を合わせ進み続ける必要があると強く感じました。

TERA'Sキッチン 今夜のひと皿

苦味がやみつきピーマン

塩辛バーニャカウダ

■材料

ピーマン : 5~6個
塩昆布 : 1つまみ
ごま油 : 小さじ2


❶ ピーマンの種を取り除き、細切りにする。
 (苦味が気になる人はレンジで2分ほど加熱)
❷ 塩昆布・ごま油・ブラックペッパーまたは七味と
   ①のピーマンを和えて完成。
  塩気が薄ければ塩を少々加える。


夏にあちこちからもらったピーマンがたっぷり食べられて、ご飯・お酒のお供にもピッタリ!



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