長野県民医連の歴史
1961年 草創期
民医連運動のルーツは、戦前、治安維持法に反対した労農党の山本宣治代議士の暗殺事件をきっかけとした「無産者診療所」の運動にあります。
「労働者農民の病院を」と全国で1病院23診療所がつくられました。
激しい弾圧によって設立とはならなかったものの、上田小県地方でも設立の準備が進められました。
終戦直後から各地で民主診療所がつくられ、1953年に全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)が結成されました。
長野県に民医連運動の灯がともったのは1961年。
その13年後、県内4つの病院・診療所が集まり、全国で25番目の県連が誕生しました。
年次 | 月 | 動き |
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1961 | 8 | 長野民主診療所開設 |
1962 | 5 | 長野民主診療所、長野診療所に名称変更 |
1973 | 12 | 和田病院開設(24床) |
1974 | 4 | 松本診療所開設 |
6 | 諏訪共立診療所開設 | |
8 | 長野県民医連結成総会 |
1974年 長野県民医連結成
長野県民医連結成後、各病院・診療所は日常診療の強化により患者数が増える中で、病院化、有床化など急速に発展してきました。
それとあいまって県連事務局の開設、医療活動研究集会や医師部会の開催など、県連レベルの活動や職員の交流が大きく前進しました。
長野中央病院の建設(1979年・147床)と、新卒医師の研修開始(1980年)は、長野県民医連の本格的な医師養成の第一歩として、その後の県連発展の大きな原動力となっています。
年次 | 月 | 動き |
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1976 | 4 | 長野協立病院開設(30床) 諏訪共立診療所有床化(12床) |
8 | 県連青年ジャンボリー(以降毎年開催) | |
10 | 県連事務所開設 | |
1962 | 4 | 松本診療所有床化(9床) |
10 | 長野医療生協臨時総会で厚生会長長野中央病院継承決定(117床) | |
11 | 諏訪協立病院開設(43床) | |
1980 | 5 | 長野中央病院で新卒医師基礎研修開始 |
1980年 第1次長期計画
1980年には長野県民医連第1次長期計画が策定され、長野中央・松本協立・諏訪共立・健和会の各地拠点病院の相次ぐ増床と充実、川岸、山形の出張診療所開設を実現しました。
山梨勤医協倒産(1983年)の再建支援、県連結成10周年記念集会(1985年)等の取り組みを通して長野県民医連の団結はさらに強まり、医師・医学生への働きかけ、職員教育要綱の確立など、後継者の確保と養成や理事会活動が大きく発展しました。
年次 | 月 | 動き |
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1981 | 4 | 松本協立病院開設(50床) |
1983 | 7 | 川岸出張診療所開設 |
9 | 和田病院増床(119床)、健和会病院に名称変更 | |
1984 | 3 | 山形診療所開設 |
1986 | 10 | 第1回県医系学生秋のつどい(以後毎年開催) |
1987年 第2次長期計画
1987年に策定された第2次長期計画では、空白医療圏への診療所建設が中心課題でした。
とりわけ上田小県地域と上伊那地域で民医連の診療所建設運動が広がる中で、上田生協診療所(1988年)、伊那生協診療所(1990年)の開設を成功させました。
また多くの医師、医学生が長野県民医連に合流し、各病院の医療活動も多彩に発展しました。
「臨調行革」路線による医療営利化が押し進められる情勢の中で、長野県民医連も国民医療を守る共同行動に取り組み、大きな役割を果たしました。
1988年には県連機関紙「長野県民医連」が創刊となり、事務局機能の充実、経営検討会の開催など、県連機能も強化されました。
年次 | 月 | 動き |
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1988 | 8 | 県連機関紙「長野県民医連」創刊(月刊) |
11 | 上田生協診療所開設 | |
1990 | 4 | 伊那生協診療所開設 |
1992年 第3次長期計画
第17回総会(1992年)で第3次長期計画を決定し、医療総改悪とたたかい、総合的医療活動を進めることを軸に、98年までの目標として「6の診療所建設(10の診療所へ)」「100人の医師集団」「9万の共同組織」などを掲げました。
この6年間で2つの診療所(塩尻協立、南長池)をはじめ、2保険薬局、7訪問看護ステーションが新たに開設。
また長野県医療事業協同組合の設立は、長野県民医連の共同事業として新たな一歩を踏み出し、共同購入、TV会議システムの導入など県連機能が大きく前進しました。
97年の医療抜本改悪を阻止するたたかいは史上最大の取り組みとなり、医師会や老人クラブをはじめ、より広範な層との結びつきが広がりました。
年次 | 月 | 動き |
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1992 | 8 | 上田生協診療所有床化(19床) |
1993 | 10 | 伊那生協診療所有床化(19床) |
10 | 諏訪共立病院増床(65床) | |
12 | 塩尻協立診療所開設 | |
1994 | 4 | 南長池診療所開設 |
7 | 松本協立在宅介護支援センター開催 | |
12 | 長野県民医連結成20周年記念レセプション開催 | |
1995 | 1 | ひまわり薬局開設 |
4 | 長野県医療事業協同組合開設 | |
5 | 松本協立訪問看護ステーション(現すみれ)開設 | |
9 | 老人訪問看護ステーションながの開設 | |
1996 | 4 | 生協診療所いいじま開設 |
6 | 川西生協診療所開設 | |
6 | 下諏訪町在宅介護支援センター開設 | |
6 | 諏訪共立訪問看護ステーション開設 | |
9 | 訪問看護ステーションすこやか開設 | |
1997 | 2 | 訪問看護ステーションみどり開設 |
5 | かやの木診療所開設 | |
7 | 訪問看護ステーションいがら開設 | |
7 | 川岸訪問看護ステーション開設 | |
11 | 巾上ひまわり薬局開設 |
1998年 第4次長期計画
第4次長期計画(1998~2003年)では、広範な県民とともに医療の戦後史的改悪に対するたたかいを発展させること、介護・福祉分野へのウイングを広げ、介護保険時代における総合的な医療福祉のネットワークを構築することを中心課題に据え、3老人保健施設、特養、グループホーム、ケアハウス等が開設。
塩尻協立の病院化をはじめ、この6年間に20の民医連事業所が新たに開設しました。
また98年には長野県民医連事務局も「明倫堂ビル」から自前の民医連会館を建設しました。
2003年には長野県民医連の総力を結集し、長野中央病院の「臨床研修指定病院」取得を成功させました。
長野県政も2000年の田中県知事誕生により、無駄な大型公共事業を削って医療・福祉・教育を充実する政策へ大きく転換しました。
その中で長野県民医連は1069件におよぶ「介護実態調査」をまとめ、介護保険改善の取り組みに大きく貢献しました。
年次 | 月 | 動き |
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1998 | 4 | 県連会館落成 |
5 | 訪問看護ステーションふるさと開設 | |
6 | 訪問看護ステーションこすもす開設 | |
7 | 老人保健施設ふるさと開設 | |
7 | 上田生協訪問看護ステーション開設 | |
1999 | 4 | 老人保健施設あずみの里開設 |
4 | 訪問看護ステーションあずみの里開設 | |
4 | 訪問看護ステーション高陵開設 | |
10 | 訪問看護ステーションなでしこ開設 | |
2000 | 4 | 塩尻協立病院開設(診療所から病院へ) |
4 | 老人保健施設はびろの里開設 | |
4 | 塩尻ひまわり薬局開設 | |
4 | ヘルパーステーションあずみの里開設 | |
4 | 松本協立ヘルパーステーション開設 | |
4 | 塩尻市在宅介護支援センター協立こすもす開設 | |
4 | ヘルパーステーションみどり開設 | |
4 | 訪問看護ステーションはびろ開設 | |
4 | ヘルパーステーションにじ開設 | |
4 | 諏訪共立ヘルパーステーション開設 | |
4 | 在宅総合ステーションながの開設 | |
7 | あおぞら薬局開設 | |
2001 | 5 | かなえひまわり薬局開設 |
7 | さかき生協診療所開設 | |
7 | グループホーム喜楽開設 | |
8 | グループホームひだまり開設 | |
10 | ケアハウス高尾開設 | |
2002 | 5 | 特別養護老人ホームあずみの里開設 |
6 | けやき薬局開設 | |
7 | 健和会ヘルパーステーション開設 | |
12 | 健和会飯田中央診療所開設 | |
12 | 健和会デイサービスセンター開設 | |
12 | 訪問看護ステーションながいけ開設 | |
2003 | 2 | 生協いいじま訪問看護ステーション開設 |
3 | ヘルパーステーションあおば開設 | |
4 | 長野中央病院「臨床研修指定病院」取得 |
2004年 第5次長期計画
第25回総会(2004年)で決定した第5次長期計画は、憲法9条、すべての人々の受療権を守る取り組みと医療安全と民主的集団医療を発展させることを基本とし、上伊那への病院建設と空白医療圏への診療所展開、新卒医師の確保と養成の前進を重点課題として掲げました。
2004年10月には、私たち長野県民医連のパートナーである共同組織も10万人を突破しました。
年次 | 月 | 動き |
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2004 | 4 | 介護老人保健施設はやしの杜開設 |
7 | 訪問看護ステーションいなさと開設 | |
9 | グループホームこかげ開設 | |
10 | 稲里生協クリニック開設 | |
11 | 稲里あおぞら薬局開設 | |
12 | 県連30周年記念レセプション | |
2005 | 4 | 高齢者グループホームなのはな開設 |
2006 | 5 | 上伊那生協病院開設(125床・伊那生協診療所から病院へ) |
7 | デイサービスセンター喜楽加盟(2001年7月開設) | |
7 | グループホーム高尾加盟(2005年4月開設) | |
9 | 宅幼老所こころ岡村加盟(2006年3月開設) | |
12 | ケアハウスあずみの里開設 | |
2007 | 3 | 宅幼老所ひなたぼっこ加盟(2006年12月開設) |
7 | 宅幼老所福寿草加盟(2006年10月開設) | |
10 | 諏訪共立在宅療養支援診療所開設(往診専門) | |
2009 | 1 | 上伊那生協病院附属診療所開設(往診専門) |
4 | 大町協立診療所開設 |
2010年 第6次長期計画
2000年代の後半、小泉内閣が進めた新自由主義的構造改革で広がった格差と貧困、地域医療・介護の崩壊が進みました。これに対して国民の怒りが広がり、自公政権に代わり民主党中心の政権が誕生しました(2009年)。その民主党政権も福祉重視の選挙公約をことごとく投げ捨て構造改革政治に逆戻りし、さらに格差と貧困を広げた為、国民生活はいっそう悪化し、日本全体に閉塞感が広がりました。
そんなときに東日本大震災と原発事故が発生しました(2011年)。以来、政治や社会のあり方をめぐって国民のなかに大規模な模索と探求が始まっています。
第6次長期計画で「日本と信州全体を視野に、憲法を生かし、地域医療・介護の再生と創造の旗手に」をメインスローガンに、貧困の打開と地域医療・介護の充実に貢献することを中心課題に取り組みました。
年次 | 月 | 動き |
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2010 | 4 | 特別養護老人ホームゆい(開設2月) |
5 | 通所介護 元気倶楽部まゆ | |
2011 | 2 | こころ高島(開設2010年12月) |
2012 | 2 | 宅幼老所ひなたぼっこ(特定非営利活動法人から社会福祉法人に変更) |
4 | 小規模多機能ケア米沢の家(開設2011年12月) | |
4 | ソレイユ薬局 | |
7 | グループホームひなたぼっこ(開設2010年6月) | |
7 | 生協ケアセンター春近 なないろの家(開設2012年4月) | |
10 | 社会医療法人 南信勤労者医療協会(医療法人から社会医療法人に変更) | |
2013 | 3 | 松本協立病院(変更:183床→199床) |
4 | 長野中央病院(変更:302床→322床) | |
4 | 社会医療法人 中信勤労者医療協会(医療法人から社会医療法人に変更) | |
5 | 社会福祉法人こころ(特定非営利活動法人から社会福祉法人に変更) | |
8 | 老健すずかぜ(開設5月) | |
2014 | 4 | 生協総合ケアセンターみのわ(生協介護センターみのわから変更) |
4 | 上伊那生協病院(変更:144床→164床) | |
5 | 地域密着型特別養護老人ホーム和音(開設4月) | |
5 | 地域密着型特別養護老人ホームはやしの杜(開設4月) | |
7 | 生協総合ケアセンターいな(生協介護センターあおばから変更) | |
7 | 諏訪共立病院(変更:99床→110床) | |
8 | 協立居宅介護支援センターやまがた | |
2015 | 7 | 生協総合ケアセンターいいじま(開設4月) |
8 | 老人保健施設なないろ(開設4月) | |
2016 | 2 | こころのひろば(開設2014年4月) |
7 | 協立はりきゅうマッサージセンター(開設2016年1月) |
2016年 第7次長期計画
第32回総会では3つの中心的課題を設定しました。
第1の課題「戦争法廃止、立憲主義回復、憲法改悪阻止のため、国政・県政の民主的転換をめざし、信州の各地域を平和と社会保障充実のとりでにしよう」 第2の課題「保険・医療・介護の複合体としての役割を発展させ、民医連らしさをいっそう発揮し、共同組織とともに地域医療・介護の充実と街づくりに貢献しよう」 第3課題「人間的な発達ができる事業所・職場作りを進め、長野県民医連を担う医師の確保・養成と次世代の幹部育成をせいこうさせよう」
歴史的な岐路にある情勢の中で、この3つの中心的課題をすすめ、民医連らしい医療・介護の実現を目指します。
長野県民医連の現状
加盟事務所一覧 2017.3現在